【先史時代・古代・中世・近世・近代・現代】カテゴリー分けは本当に必要か?歴史の時代区分を解説!

こんにちは!歴史ワールド管理人のふみこです!

今回は、歴史の時代区分について解説します。

みなさんも、「先史時代」「古代」「中世」「近世」「近代」「現代」といった言葉をどこかで聞いたことがあると思います。

「古代エジプト文明が作ったピラミッド」「中世ヨーロッパ」「近代美術館」「現代社会」のように、さまざまな場面で歴史の時代区分が使用されています。

では、このような時代区分は何を基準にカテゴリー分けされているのか、それぞれの時代区分はいつからいつまでなのでしょうか?

この記事では、主流となっている「先史時代」「古代」「中世」「近世」「近代」「現代」の六時代区分法に基づいた各時代の特徴と、時代区分(カテゴリー分け)の必要性について解説します。

目次

六時代区分法の解説

まず前提として、各時代区分の移行は世界の全ての地域で同時に起こったわけではありません。ここでは、古代はオリエント、中世・近世・近代・現代は西ヨーロッパを基準にします。

先史時代

約700万年前、地球上に人類の祖先が出現してから、約5000年前に文字を発明し自らの歴史を記録に残すようになるまでの、数百万年という気の遠くなるような長い時代を「先史時代といいます。

文字で書かれた資料が残っておらず、遺跡や遺物でしか当時のことを知る手段のない時代であり、文字を使用する以前の人類の歴史です。原始時代とも呼ばれ、人間同士に階級がなく社会集団や文化の形成が未成熟な時代です。

人類史の99%以上を占める長い期間にも関わらず、資料に乏しいため、僅かな手がかりをもとに想像するしかありません。

もしかしたら、現代以上に高度な文明が存在し、核戦争で滅びた可能性もあるかもしれません。

日本で文字ができたのは1世紀頃で、弥生時代から古墳時代あたりで先史時代が終わったと言われています。

古代

世界の各地域で発生した文明がそれぞれの発展を遂げ、主に奴隷制が社会の土台であった時代を「古代」といいます。

約5500年前に人類が文字を使用し自らの歴史を記録に残すようになってから、奴隷制が崩壊し封建社会が始まった5世紀頃までの期間であり、約4000年間という長い時代です。

紀元前3500年頃(約5500年前)にメソポタミアやエジプトなどの古代文明が発展し始め、それから数百年・数千年間、離合集散を繰り返しながら人類の文明は領域を広げ、経済や社会を発展させていきました。

文字や貨幣が生まれ社会が発展するにつれて、分業が発達して私有財産を持つ者が生まれ、貧富の差が生まれます。人類最初の階級社会です。

古代の階級は大きく市民と奴隷の2つに分かれていました。それぞれの文明によって違いはありますが、市民は参政権を持ち、労働の義務はなく、兵役を課せられていました。市民の中にも貴族や平民などの格差はあり、時々対立しています。一方の奴隷は主人(市民)に絶対服従の不自由な存在で、労働をさせられていました。

古代の奴隷は人間ではなく、物扱いです。

古代社会では奴隷が生産活動に不可欠であり、奴隷制のもとに社会が成り立っていました。

奴隷制による人類の発展はやがて大帝国の発生へと繋がり、紀元前後数世紀の間、ローマ帝国や漢を代表とする大帝国が古代文明の集大成として奴隷制のもとに発展します。

しかし、3~5世紀にはこの大帝国や奴隷制社会も崩壊し、古代が終わりを迎えます。

日本では3世紀頃の古墳時代あたりから12世紀の平安時代までの期間です。日本においては、階級は大きく貴族と農民の2つに分けられ、農民が過酷な労働をして貴族の優雅な暮らしを支えていました。

12世紀後半から武士が権力を持ち始め、武家政権(鎌倉幕府)の成立により、日本の古代も終わりを迎えます。

中世

世界の各地域が交流・再編して文明が多くの地域に広まり、主に封建制・荘園制が社会の土台であった時代を「中世」といいます。

3~5世紀に奴隷制社会が崩壊して封建制・荘園制社会が始まり、15~16世紀に封建制・荘園制社会が崩壊するまでの約1000年間です。

封建制とは、土地を介して結ばれた主従関係に基づいて成立した社会制度です。階級は大きく君主・諸侯・農民の3つに分かれていました。

君主(皇帝・国王・将軍)が土地を諸侯(領主・貴族・大名)に分け与え、諸侯たちが土地を領有してその土地の農民を統治するというシステムが成り立っていました。

封建制が君主と諸侯との関係を指すのに対して、荘園制は、諸侯と農民との関係を指します。

荘園制とは、君主の公的支配を受けず、領主が与えられた土地と農民を自由に統治・経営するシステムのことです。

この封建制・荘園制のもとでは、領主の権力が大きくなり、独立国家のようになっていました。

農民は、古代の奴隷よりは自由があります。農民は人間扱いでしたが、参政権はなく抑圧されており、領主に納める労役や租税などを重く課せられていました。

中世は暗黒時代とも呼ばれます。大帝国が発展した古代と比べ、人口・文化・経済が悪化して停滞していたと見られるためです。

しかし、15世紀頃になると都市や貨幣経済の発達により荘園制が崩壊し、封建制も崩壊して中世が終わりを迎えます。

日本では、12世紀の鎌倉幕府成立から16世紀の安土桃山時代までの期間です。将軍から土地をもらった御家人・大名などがその土地の農民を支配していました。

16世紀末、豊臣秀吉の太閤検地により荘園制は消滅し、日本の中世も終わりを迎えます。

近世

世界の一体化が始まり、中央集権化・主権国家体制の確立した時代を「近世」といいます。

15~16世紀頃に封建制・荘園制社会が崩壊して主権国家体制が確立してから、18~19世紀の市民革命・産業革命までの約300年間です。

権力や土地が各諸侯に分散していた中世と異なり、近世では君主に権力が集中し、絶対的な権力を持つようになります。

主権国家とは、外部の力に従属せずに自国のことを自国で決定できる国のことです。西ヨーロッパでは中世において教皇が絶対的な権力を持ち、国王も教皇に従属していましたが、近世に入ると教皇は世俗的な権力を失い、国王がそれぞれの国内で絶対的な権力を持ちます。

生産力の増加・都市や貨幣経済の発達により市民・農民も富を蓄え始めますが、参政権はなく、国王が決めたこと命じたことには絶対服従という社会でした。

しかし、18~19世紀頃になると、富を蓄えて経済力を付けた市民が自由・平等・参政権を求めて革命を起こし、近世が終わりを迎えます。

また、この近世の大きな変化として、「世界の一体化」の始まりがあります。それ以前もユーラシア大陸・アフリカ大陸の中では比較的交易がありましたが、16世紀の大航海時代以降、アメリカ大陸を含めた世界のさまざまな地域が長距離交易を通じて密接に結びつきます。

日本では、16世紀末~19世紀前半の安土桃山時代終わりから江戸時代の期間です。豊臣秀吉の天下統一とそれに続く江戸幕府による中央集権的な全国支配のもとで日本として一体化し、江戸などでは富を蓄える市民も出てきました。

19世紀後半の明治維新により幕府の支配は終わり、日本の近世も終わりを迎えます。

近代

資本主義・民主主義が社会の土台となった時代を「近代」といいます。

18~19世紀頃に市民革命・産業革命が起こって資本主義社会が確立してから、1918年に第一次世界大戦が終わるまでの約100~200年間です。

君主が絶対的な権力を持っていた近世と異なり、近代では市民の一部または大半に参政権が与えられ、民主主義のもと多数決で政治を行うようになります。

中央集権・主権国家体制は近世と同様に続きましたが、君主ではなく市民が権力を持ちます。

さらに産業革命による生産力の爆発的な増加に伴い、富を蓄えて生産手段を持つ市民が資本家となり、生産手段を持たない労働者を働かせて生産活動を行うようになります。

階級は大きく資本家と労働者の2つに分かれていました。

労働者は資本家に搾取されていましたが、実力次第で資本家に成り上がることも可能であり、次第に参政権も労働者まで拡大していきました。

この社会構造の基本部分は現在まで続いてますが、1918年の第一次世界大戦終了後、グローバル化の進展と国民国家群の増加、大衆消費社会の到来により、近代は終わりを迎えます。

日本では、19世紀後半の明治維新から1945年の第二次世界大戦終戦までの期間です。明治政府のもとで資本主義・民主主義が進展し、市民にも参政権が拡大していきます。

1945年の第二次世界大戦敗北によってグローバル化・大衆消費社会が日本にも浸透し、日本の近代も終わりを迎えます。

現代

グローバル化・国民国家群の増加・大衆消費社会の時代を「現代」といいます。

1918年に第一次世界大戦が終わってから現在に至るまでの約100年間です。

16世紀の近世から世界の一体化が始まり、近代でさらに進み、第一次世界大戦後に急速に進展します。世界の一体化・グローバル化とは、政治・経済・人・文化などさまざまなものが国境を越えて地球規模で統合していくことです。国際連盟・国際連合・EU(ヨーロッパ連合)など、地球規模の国際機関により主権国家の権力が一部制限され、一体化が進んでいます。

しかし、グローバル化の進展と並行して、逆に地域の分断や社会格差が進み、大規模な国家が分離・解体して中小規模の国民国家群が増加し続けています。

グローバル化(世界統合)と国民国家群の増加(各地域の分断)という2つの矛盾する大きな現象が起きているのが現代の特徴です。

さらに、近代の産業革命以降急速に進展した科学の発展は人々の生活水準を劇的に向上させ、近代の資本家と労働者という二極構造から、労働者も豊かな暮らしができる社会へと変化しました。

日本では、1945年の第二次世界大戦敗北から現在に至るまでの期間です。

また、生命科学や医療の進歩により急速に長寿社会が実現しています。これは人類がこれまでに経験したことのない状況であり、人類は現代の次の時代を迎えつつあるのかもしれません。

三時代区分法

現在は六時代区分法が主流ですが、以前は三時代区分法が主流でした。

「古代」「中世」「近代」の3つに分ける区分法で、「先史時代」は「古代」に、「近世」は「近代」に含まれています。

歴史学の研究が進み、「先史時代」と「古代」の違い、「近世」と「近代」の違いが明確になり、六時代区分法が主流となりました。

一方で、「石器時代」「青銅器時代」「鉄器時代」の3つに分ける三時代区分法もあります。

時代区分法の問題点

人類の歴史を時代区分で区切ることの問題点は、以下の4つが挙げられます。

・時代間の連続性がつかみづらい
・時代の区切りの年でいきなり変化したように見える
・各時代の内部では何も変化がないように見える
・各時代の特徴とは異なる出来事が起こったとき、不自然となってしまう

時代の区切りはいきなりではなく徐々に変化することが多く、各時代の内部でも前の時代や次の時代の特徴が見られることもあります。

このような過渡期や緩やかな変化が無視され、時代間の連続性も無視されがちです。

歴史を体系的に理解するうえで時代区分法は必要

しかし、果たして時代を区切ることなく歴史を理解できるでしょうか。

歴史の流れを理解するためには、時代を区切って特徴づけ、他の時代・他の地域と比較することが必要です。

既に六時代区分法の解説で説明したように、各時代の特徴を比較し、変化の過程・理由を関連付けることで歴史の流れを理解することができるのです。

よって、歴史の流れを理解するためには、時代区分法を用いる必要があるのです。

時代区分法の問題点を理解したうえで時代区分法を用いよう!

時代区分法は歴史の流れを理解するために必要ですが、既に述べたように問題点もあります。

それを克服するためには、問題点を理解したうえで時代区分法を用いて歴史を学べば良いのです。

時代の過渡期は急激ではなく緩やかなことも多く、各時代の内部でも変化はあり、各時代の特徴とは異なる出来事もしばしば起こることを頭に入れながら、時代区分法を用いて歴史を学びましょう。

これからも一緒に歴史を学んで未来をより良くしていきましょう!最後まで読んでいただきありがとうございました。

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