【時代解説:古代】奴隷制社会を土台として世界の各地域の文明がそれぞれの発展を遂げた時代、「古代」とはどんな時代か解説!

こんにちは!歴史ワールド管理人のふみこです!

今回は、歴史の時代区分の1つ、「古代」について解説します。

時代区分については、主流となっている「先史時代」「古代」「中世」「近世」「近代」「現代」の六時代区分法を前提とします。

みなさんも、「古代」という言葉を聞いたことがあると思います。「古代エジプト文明」「古代オリンピック」「古代人」・・・

では、古代とはいつからいつまでの期間で、どんな時代なのでしょうか?なんとなく、遥か昔の時代、ローマ帝国、エジプトのピラミッド、といったイメージだと思います。

この記事では、そんな遥か昔の「古代」とはどんな時代だったのか、分かりやすく解説します。

目次

古代とはいつからいつまで?

世界の各地域で発生した文明がそれぞれの発展を遂げ、主に奴隷制が社会の土台であった時代を「古代」といいます。

約5500年前に人類が文字を使用し自らの歴史を記録に残すようになってから、奴隷制が崩壊し封建社会が始まった5世紀頃までの期間であり、約4000年間という長い時代です。

紀元前3500年頃(約5500年前)にメソポタミアやエジプトなどの古代文明が発展し始め、それから数百年・数千年間、離合集散を繰り返しながら人類の文明は領域を広げ、経済や社会を発展させていきました。

奴隷制による人類の発展はやがて大帝国の発生へと繋がり、紀元前後数世紀の間、ローマ帝国や漢を代表とする大帝国が古代文明の集大成として奴隷制のもとに発展します。

しかし、3~5世紀にはこの大帝国や奴隷制社会も崩壊し、古代が終わりを迎えます。

日本では3世紀頃の古墳時代あたりから12世紀の平安時代までの期間です。

古代の流れ

古代文明の成立(紀元前3500年〜1200年頃)

歴史時代の始まった紀元前3500年頃から、世界の各地域では、気候や地理などの自然環境に適応しながら人々が農耕・牧畜と定住生活を始め、メソポタミア・エジプト・インダス・中国の四大文明をはじめとする古代文明を作っていきます。

最初に文明が出現したのは、現在のイラクのティグリス川・ユーフラテス川流域のメソポタミア文明です。砂漠が多く降水量の少ないメソポタミア地方では、灌漑施設や運河を建設するために人々の組織化が早く進み、紀元前2700年頃までに系統不明のシュメール人が都市国家をたくさん作ります。都市国家の王は、神の意思を人々に伝達する宗教的な預言者として権力を握ります。

エジプトでは、ナイル川の穏やかな氾濫によって上流から運ばれてくる肥沃な土に頼る農業を営みます。エジプトでは紀元前3000年頃から統一国家が誕生し、王はナイル川の水位を管理して増水期を正確に予想する、神そのものとして権力を握ります。そして王を頂点とした中央集権的な官僚組織によって、約3000年間の安定した支配を実現します。

これらオリエントの影響を受けた地中海沿岸地域は、土壌がやせて穀物生産に向いていないため、果樹栽培や牧畜を行い、穀物などを海上交易で手に入れます。紀元前3200年頃から東地中海のエーゲ海周辺に生まれたエーゲ文明では、オリエントと同様に宗教的権威に基づいて王が権力を握ります。

オリエントと同じく大河流域での農業を営んだ中国では、紀元前1600年頃から、麦や雑穀を生産する黄河文明と、稲作を行う長江文明が生まれます。紀元前1600年頃に黄河流域に生まれた殷王朝では、占卜によって神意を占い物事を決定する、祭政一致の神権政治によって王が権力を握ります。

パキスタンのインダス川流域に紀元前2600年頃発生したインダス文明では、強力な王権は存在せず、煉瓦造りの都市国家が多数生まれます。インダス文明は紀元前1800年頃から衰退し、紀元前1500年頃からは、中央アジアにいた牧畜民のアーリア人の侵入が始まります。

アメリカ大陸の中南部では、紀元前3000年頃から、高地でのトウモロコシ・ジャガイモ・豆などの栽培を行ったアンデス文明やマヤ文明などが発生します。

古代文明の発展(紀元前1200年〜300年頃)

世界の各地域に成立した古代文明は、変容しながら発展し、やがて規模を拡大していきます。

メソポタミア地方では紀元前2400年頃からバビロン第1王朝などの統一国家が誕生した後、周辺諸民族の侵入と興亡を繰り返しながら、紀元前700年頃のアッシリアや紀元前522年頃〜300年頃のアケメネス朝などのオリエント統一国家を生み出します。

地中海沿岸地域では、紀元前800年頃からギリシア人が、平等な市民の共同体である都市国家ポリスを母体とするギリシア文明を開きます。ここでは政治を動かす主人公は神々ではなく市民でした。小国分立状態が長く続いたギリシアを紀元前330年頃に統一したマケドニアのアレクサンドロス大王は、オリエントを征服してインド西北部まで至る大帝国を築き、各地にギリシア文化を波及させてヘレニズム時代が訪れます。

インドではインダス文明の後に紀元前1500年頃からアーリア人が侵入してカースト制度を生み出し、都市国家の興亡を繰り返す中で、バラモン教、仏教、ジャイナ教などが発生します。紀元前300年頃にはマウリヤ朝のアショーカ王がインドのほぼ全域を支配する大帝国を作ります。

中国では殷が滅びた後に周が紀元前1000年頃に黄河一帯を統一しますが、紀元前700年頃〜220年頃まで諸侯が分立する春秋・戦国時代が長く続きます。春秋・戦国時代には儒教を唱えた孔子をはじめとする諸子百家と呼ばれる思想家が多く生まれます。

巨大帝国の成立と発展(紀元前300年〜西暦200年頃)

発展し規模を拡大した古代文明の中から、やがてユーラシア大陸の東西に巨大帝国が生まれ、古代の黄金期を迎えます。

西の帝国はローマです。イタリア半島の都市国家として紀元前500年頃から独立したローマは、強大な軍事力によって紀元前30年頃に地中海世界を政治的に統一し、「ローマの平和(パクス=ロマーナ)」と呼ばれる繁栄をもたらします。ローマはギリシアを受け継いだ市民政治による共和政でしたが、地中海世界を統一したオクタウィアヌスが元老院から権力を与えられる形で、帝政が始まります。ローマ時代には優れた文化や建築物が多数生まれ、テルマエ=ロマエに描かれる浴場などの娯楽施設も生まれるなど、現代から見ても驚くような発展を遂げます。

パレスチナ地域に西暦30年頃に生まれたキリスト教は、初めローマ帝国に迫害されますが、やがて公認されてローマ帝国の国教となり、キリスト教はその後のヨーロッパ思想の源流となります。

東の帝国は漢・唐です。紀元前221年には秦の始皇帝が中国を統一するもわずか15年で滅びますが、その後に生まれた漢は前漢と後漢を合わせて400年にも及ぶ大帝国を築きます。漢の時代には儒教の教えが広まり、やがて国教となりました。220年に漢が滅びた後は三国時代・五胡十六国時代・南北朝時代といった分裂期が続きますが、589年に隋が中国を統一します。隋の支配は短くわずか38年で滅びますが、李淵が618年に唐を建国し、唐は約300年間繁栄します。唐の中央集権的な律令国家体制や豊かな国際色を持った貴族文化は、日本や朝鮮などの東アジア諸国にも波及し、広大な東アジア文化圏を形成します。

巨大帝国の崩壊と古代の終わり(西暦200年〜500年頃)

古代末期になると、ユーラシア大陸東西の巨大帝国の衰退によって、小国分立状態となります。

ローマ帝国はゲルマン人やパルティアとの戦争や財政悪化などによって3世紀頃から衰え始め、395年には東西に分裂します。ゲルマン民族の侵入にさらされた西ローマ帝国の衰退は著しく、476年にゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによって皇帝が退位させられ、西ローマ帝国は滅亡します。東ローマ帝国は引き続き東地中海を支配しますが、西ヨーロッパはゲルマン諸国の小国分立状態となります。

唐も財政悪化や内乱によって8世紀前半頃から衰え始め、875年に塩の密売商人であった黄巣が起こした黄巣の乱によって、907年に滅亡し、中国は小国分立の五代十国時代に入ります。日本は、12世紀に平安時代までの貴族支配が終わって武士の時代となります。

古代の終わりは、西洋では5世紀頃、東洋では9〜12世紀頃と、地域によって時間差がありました。

古代では奴隷が重要な生産主体となっていた

紀元前3500年頃に歴史時代が始まってから、文字や貨幣が生まれ社会が発展するにつれて、分業が発達して私有財産を持つ者が生まれ、貧富の差が生まれます。人類最初の階級社会です。

古代の階級は大きく市民と奴隷の2つに分かれていました。それぞれの文明によって違いはありますが、市民は参政権を持ち、労働の義務はなく、兵役を課せられていました。市民の中にも貴族や平民などの格差はあり、時々対立しています。一方の奴隷は主人(市民)に絶対服従の不自由な存在で、労働をさせられていました。

古代では、奴隷が重要な生産主体となります。ギリシアのポリス社会では市民が家内奴隷や工業奴隷を所有して生産活動に従事させていましたが、比較的小規模でした。一方、ローマではラティフンディアのような大規模な農園で大量の奴隷が集団で生産活動に従事していました。奴隷の供給源は主に戦争捕虜であり、人権を認められず商品として売買されます。

ギリシアとローマの他にも、インドのカースト制度のシュードラ、中国の奴婢など、古代には世界の各地域に奴隷のような制度がありました。

古代には高度な文明が発展していた

古代、特にローマでは、現代から見ても驚くような高度な文明が発展していました。

ローマ時代には水道・道路・港・建造物などのインフラが作られ、これに匹敵するものはその後1000年は作られなかったそうです。また、その多くが2000年の時を経た現在でも残っており、水道に至っては現在も実用的に使用されています。

築50年の建物でもボロボロなのに、築2000年の建物が普通に使えるんです!ローマ時代の建築技術は極めて高度だったのでしょう。

ローマ帝国がもっと長く繁栄していたら、もっと高度な文明になっていたのかもしれません。

これからも一緒に歴史を学んで未来をより良くしていきましょう!最後まで読んでいただきありがとうございました。

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