【時代解説:中世】世界の各地域が交流・再編して文明が多くの地域に広まり、封建制・荘園制によって支配された時代、「中世」とはどんな時代か解説!

こんにちは!歴史ワールド管理人のふみこです!

今回は、歴史の時代区分の1つ、「中世」について解説します。

時代区分については、主流となっている「先史時代」「古代」「中世」「近世」「近代」「現代」の六時代区分法を前提とします。

みなさんも、「中世」という言葉を聞いたことがあると思います。中世といえば、騎士、魔女、修道院、お城、貴族などといった、ミステリアスでかっこいいイメージを持っている人が多いと思います。

では、中世とはいつからいつまでの期間で、どんな時代だったのでしょうか?

この記事では、そんなミステリアスでかっこいい「中世」とはどんな時代だったのか、分かりやすく解説します。

目次

中世とはいつからいつまで?

主に封建制・荘園制が社会の土台であり、世界の各地域が交流・再編して文明が多くの地域に広まった時代を「中世」といいます。

3~5世紀に奴隷制社会が崩壊して封建制・荘園制社会が始まり、15~16世紀に封建制・荘園制社会が崩壊するまでの約1000年間です。

15世紀頃になると都市や貨幣経済の発達により荘園制が崩壊し、封建制も崩壊して中世が終わりを迎えます。

日本では、12世紀の鎌倉幕府成立から16世紀の安土桃山時代までの期間です。将軍から土地をもらった御家人・大名などがその土地の農民を支配していました。

16世紀末、豊臣秀吉の太閤検地により荘園制は消滅し、日本の中世も終わりを迎えます。

中世の流れ

混乱の収束と新秩序の形成(6世紀〜10世紀)

西ヨーロッパは、ローマ帝国の崩壊によって古代が終わりを告げた5世紀以降、ゲルマン人の小国家が分立するなど、混乱の時代に入ります。

ローマ帝国の後継者である東ローマ帝国(ビザンツ帝国)が6世紀に一時的に地中海の大半を奪還してローマ帝国の復活を夢見るも長続きせず、7世紀にアラビア半島で生まれた一神教のイスラーム教の勢力に押されてしまいます。

イスラーム教の勢いは凄まじく、西はイベリア半島から東は中央アジアまで征服し、かつてのローマ帝国に匹敵する大帝国を築きます。最初はアラブ人の帝国でしたが、次第にイラン人やトルコ人など異民族にも広がり、キリスト教に並ぶ世界宗教へと発展します。アッバース朝が10世紀に衰退して以降は、イスラーム世界も小国家の分立状態となります。このようなイスラーム世界が成立すると、陸上・海上の交易も活発となり、アフリカや東南アジアにもイスラーム教が広がります。イスラーム文明はオリエントや地中海の文明をさらに発展させたもので、学術や科学など様々な分野で高度な文化を形成し、ヨーロッパ文明にも影響を及ぼします。

キリスト教が普遍的に広がっていたヨーロッパでは、ゲルマン人諸国家の中から6世紀頃頭角を表したフランク王国がローマ・カトリック教会の保護者となり、宗教的トップのローマ教皇と世俗的トップのローマ皇帝(フランク国王)による二元的な封建制度による支配が確立し、中世の西ヨーロッパ世界が成立します。

西ヨーロッパ世界が独立した結果、依然として東地中海で勢力を保っていたビザンツ帝国のコンスタンティノープル教会は、ギリシア正教会としてローマ・カトリック教会と決別し、スラヴ人に布教が進み、独自の東ヨーロッパ世界が成立します。

東アジアでは、10世紀初めの唐帝国の崩壊により、中国王朝の求心力低下と周辺諸地域の自立という大きな流れが引き起こされます。中国では唐の滅亡後は五代十国という小国分立状態となりますが、その中から頭角を表した宋が960年に中国主要部を統一します。宋は唐のように周辺地域を支配することはできませんでしたが、中国独自の文化を発展させます。日本も飛鳥・奈良時代には唐に倣って唐風文化が栄えますが、唐帝国の崩壊後は独自路線を進み、平安時代の国風文化が栄えます。

封建制・荘園制の確立と地域間交流の活性化(11世紀〜13世紀)

西ヨーロッパではフランク王国が9世紀に分裂するとヴァイキングやマジャール人など外敵の侵入に悩まされますが、10世紀に東フランク王国オットー1世がローマ教皇からローマ皇帝の帝位を授けられ、ドイツからチェコ・オーストリア・スイス・北イタリアといった広大な地域を支配する神聖ローマ帝国を築きます。再び世俗権力の保護者を得たローマ教皇の権力は高まり、ローマ・カトリック教会の全盛期となって、封建制・荘園制を基盤とした中世ヨーロッパの支配体制が確立します。

東ヨーロッパのビザンツ帝国は徐々にイスラーム勢力に圧迫され、勢力を縮小させていきます。ビザンツ帝国でも11世紀頃から封建制に移行しますが、11世紀後半にアナトリア(現在のトルコ)をイスラーム勢力に奪われたことでビザンツ帝国はローマ教皇に救援要請をかけ、それをきっかけに東方教会に対して優位に立とうと考えたローマ教皇によって十字軍が結成され、13世紀まで7回にわたってイスラーム勢力が支配するエルサレムとその周辺地方への侵攻を始めますが、一時的にエルサレムを奪還するものの最終的には失敗してしまいます。十字軍は失敗に終わりますが、これをきっかけに西ヨーロッパ世界とイスラーム世界の交易が活性化し、都市の発展と商業の活性化、貨幣経済の浸透が進みます。

イスラーム世界は一時セルジューク朝などの広域国家が現れるものの15世紀頃まで分立状態が続きます。イスラーム世界でも10世紀頃からイクター制のもとに封建制が確立します。

東アジアの中国では10世紀に宋のもとで、公平な試験である科挙を拡充して中央主権的な官僚制度が整備され、元代の一時停止の時期を除き、清の時代まで中国の支配制度の根幹となります。中国ではいち早く、近世の特徴である中央集権的な官僚制度が出現していたのです。

10〜12世紀の東アジアは小国分立状態となりますが、これに終止符を打ったのがモンゴル帝国です。13世紀にユーラシア大陸の東西にまたがる大帝国を築き、14世紀までその支配は続きます。モンゴル帝国によって、ヨーロッパ、イスラーム、東アジア、インド、東南アジアといったユーラシアの各地域が結びつき、陸と海の両方で大規模な交易ネットワークが成立します。

この頃の日本は貴族中心の平安時代から武士中心の鎌倉時代への移行期であり、日本では13世紀末からようやく封建制・荘園制が定着して中世の時代となります。

貨幣経済の発達と封建制・荘園制の崩壊(14〜15世紀前半)

14世紀になると北半球で寒冷な気候が続き、さらにモンゴル帝国によって活発化した交易ネットワークを通してペスト(黒死病)がユーラシア全域に広がり、各地で人口が激減します。

13世紀までのヨーロッパとイスラームの交流によって貨幣経済の発達が進むと、ペストの影響も合わさって西ヨーロッパでは教皇権の衰退と封建制・荘園制の崩壊が起こり、代わって国王の権力が高まって、中央集権的な主権国家体制が確立します。これは中世から近世への移行であり、百年戦争を戦ったイングランドとフランスでいち早く現れます。

東ヨーロッパ世界の盟主ビザンツ帝国は、13世紀末にアナトリア(現在のトルコ)に誕生したオスマン帝国に14世紀から圧迫され、1453年に滅亡します。東方正教会はモスクワ大公国が継承し、以後は東ヨーロッパ世界の中心はロシアとなります。

イスラームは、15世紀にティムール帝国が一時拡大しますが長続きせず、アナトリア(現在のトルコ)からオスマン帝国が台頭し始めます。13世紀以降はインドにもイスラーム教が広まり、長く分裂が続いていたインドの小国家がイスラーム化していきます。

中国では元がモンゴルに追いやられ、漢民族王朝の明が誕生します。明は満州やベトナムなど周辺地域も支配下に収め、さらに永楽帝の時代には鄭和の南海遠征によってインド洋に進出し、イスラーム諸国などとの交易が活発化します。

そして15世紀後半には、レコンキスタを完了させてイベリア半島からイスラーム勢力を追い出したスペインとポルトガルが、イスラーム世界を介さないアジアとの直接交易とキリスト教布教を目指し、海路で対外進出を始めます。大航海時代の始まりです。

日本は、室町幕府が衰退して15世紀後半から戦国時代の分裂状態に入ります。

中世は暗黒時代ではなく文明がより多くの地域に広まった時代

ローマ帝国や漢・唐など、ヨーロッパと中国という世界の主要地域が大発展して高度な文明を築いた古代と、産業革命が起こり資本主義社会が爆発的に進んだ近代と比べて、この5〜15世紀の中世という時期は小国の分裂や離合集散が多く、人類の発展が停滞していた暗黒時代だとする説もあります。

確かに、中世は約1000年間という長い期間にも関わらず、古代や近代と比べ、文明の発展は緩やかだったと思います。特に道路や水道のようなローマ帝国時代のインフラ整備と建築技術は凄まじく、その後約1000年間はそれを超える技術は現れなかったとされています。約1000年間というのはほぼ中世の期間ですので、近世になってようやくローマ時代を超える技術が現れたことになります。

しかし、中世は文明がより多くの地域に広まった時代です。古代の文明の中心は地中海沿岸・オリエント・インダス川流域・中国であり、確かにその中心地域では文明が高度に発展しましたが、それ以外のヨーロッパ北部・ヨーロッパ東部・アフリカ・中央アジア・東南アジア・日本といった周辺地域は未開の地でした。

それが、中世の約1000年間を通して、民族移動や宗教の拡大、交易などによってそれまで周辺の未開の地であった地域にも世界最先端の文化が広がり、拡大していきました。古代の最先端の地域はローマ・オリエントであり、近代は西ヨーロッパですが、中世の最先端の地域はイスラームや中国です。むしろ中世の期間、ヨーロッパは少し遅れていたので、ヨーロッパ中心に見ると、中世は暗黒時代に映るのだと思います。

でも、中世のヨーロッパはミステリアスでかっこいいので、個人的には好きな時代です。

これからも一緒に歴史を学んで未来をより良くしていきましょう!最後まで読んでいただきありがとうございました。

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