こんにちは!歴史ワールド管理人のふみこです!
今回は、第二次世界大戦勃発直後の1939年9月〜1940年5月にかけて、交戦状態に入った英仏とドイツの間でほとんど戦闘が行われなかった出来事について解説します。
1939年9月1日にポーランドへ侵攻したドイツに対して、英仏は9月3日に宣戦布告します。しかし、英仏は積極的にドイツを攻撃することはなく、独仏国境沿いでの両軍の睨み合いが続き、ほとんど陸上での戦闘行為がなかったため、「奇妙な戦争(ファニー・ウォー)」と呼ばれます。「まやかし戦争」「いかさま戦争」とも呼ばれます。ただし、海上では英仏海軍とドイツ海軍による活発な戦闘が発生します。この奇妙な戦争は、ドイツ軍が1940年5月にベネルクス3国とフランスに対して侵攻を始めたことで、終了します。
なぜこのとき英仏はドイツを攻撃せず、ドイツもまた英仏を攻撃しなかったのでしょうか。
この記事では、奇妙な戦争(ファニー・ウォー)の内容と起こった経緯について、図を用いて解説します。
奇妙な戦争(ファニー・ウォー)の頃の時代背景
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1929年にアメリカから始まった世界恐慌は瞬く間にソ連を除く世界中に広がり、世界中が深刻な不況となってしまいます。広大な国土を持つアメリカ、植民地を多く持つイギリス・フランスは資源と市場が豊富なためブロック経済を構築して不況に対処しますが、ドイツ・イタリア・日本など植民地が少ない国は資源と市場を求め、対外進出を始めます。これらの国ではナショナリズムが強調され、国の利益が優先されて個人の人権や自由が制限される、ファシズムが台頭していきます。
ドイツ・イタリア・日本のファシズム諸国と共産主義を掲げるソ連による侵略が始まります。イギリス・フランスはドイツをソ連に対する防波堤とするため、ミュンヘン会談などの宥和政策を取って懐柔しようとします。しかし、逆に増長させてしまい、さらに侵略戦争がエスカレートしていきます。その後、もともと不倶戴天の敵であったドイツとソ連が不可侵条約を結びお互いの侵略戦争を認め合って背後の安全を確保します。ドイツはイギリス・フランスとの戦争に向かい、第二次世界大戦が勃発します。
第二次世界大戦勃発直後というのが、奇妙な戦争(ファニー・ウォー)が起こった当時の世界の状況です。

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奇妙な戦争(ファニー・ウォー)の流れ
ドイツのポーランド侵攻と第二次世界大戦の勃発(1939年9月)

ドイツはポーランドにダンツィヒとポーランド回廊の割譲を拒否されたため、1939年9月1日、ドイツはポーランドに侵攻します。これに対してイギリスとフランスが9月3日にドイツへ宣戦布告し、第二次世界大戦が勃発します。イギリスとフランスはすぐに大規模な軍を動員して独仏国境沿いとフランス・ベルギー国境沿いに展開します。しかし、ドイツは軍の大半を東方のポーランド侵攻に振り向け、西方の独仏国境沿いにはわずかな軍しか置いていませんでした。ヒトラーは、英仏軍が攻撃してこないと確信していたのです。9月17日ソ連がポーランド東部へ侵攻、9月28日、首都ワルシャワが陥落し、ポーランドは降伏します。
イギリスとフランスはポーランドを助けると約束しておきながら、積極的にドイツを攻撃せずポーランドを見殺しにしました。開戦後1ヶ月は西部戦線において英仏軍はドイツ軍に対して圧倒的優位であり、ドイツ領に侵攻していれば簡単に勝利できたでしょう。
英仏とドイツの陸上での睨み合い(1939年10月〜1940年3月)

ポーランドでの戦いは1ヶ月で終わりましたが、その後1940年5月にドイツがフランスと低地諸国に侵攻するまで、英仏とドイツの間でほとんど陸上戦闘が発生しませんでした。戦闘がない状態が長引くにつれ、兵士たちも気が緩み、英仏軍とドイツ軍の兵士たちがタバコやお菓子を交換したり、敵の前で堂々と日向ぼっこしたりするようになります。このように、戦争状態の国同士が国境を接しているにもかかわらず戦闘がないことから、「奇妙な戦争(ファニー・ウォー)」と呼ばれます。「まやかし戦争」「いかさま戦争」とも呼ばれます。
英仏とドイツの海上での戦闘
ところが、海では活発な戦闘が行われていました。ドイツ海軍はイギリス海軍に対して明らかに劣っていたため、第二次世界大戦では主に通商破壊戦を挑みます。奇妙な戦争の期間は北海・大西洋全域が戦場となり、1939年12月13日にはアルゼンチン沖でラプラタ沖海戦などの海戦も発生します。
諸外国の動き
1939年11月〜1940年3月、ソ連がフィンランドに侵攻して冬戦争が起こります。1940年4月にはドイツがデンマークとノルウェーに侵攻します。
奇妙な戦争(ファニー・ウォー)が起こった理由
英仏がドイツを積極的に攻撃しなかった理由
第二次世界大戦が勃発し、明確にドイツと交戦状態になったにも関わらず、イギリスとフランスは戦争に対して消極的でした。第一次世界大戦のような甚大な被害が再び発生することを恐れ、心底戦争が嫌になっていたのです。そのため、ポーランドとの相互援助条約にしたがって仕方なくドイツに宣戦布告したものの、ポーランドを救うためにドイツ領に侵攻することはなかったのです。戦争が始まったにもかかわらず、未だに宥和政策が続いていました。

ドイツが1940年5月までフランスに侵攻しなかった理由
1939年9月末にポーランド作戦を終えた後のドイツ軍は西部戦線に主力を移し、ヒトラーは11月のフランス侵攻を考えていました。しかし、悪天候により延期を重ねるうちに冬になったため、結局翌1940年5月まで持ち越しとなります。
奇妙な戦争(ファニー・ウォー)の終わり
この奇妙な戦争は、ドイツ軍が1940年5月にベネルクス3国とフランスに対して侵攻を始めたことで、終了します。宥和政策を進めたイギリスのチェンバレン首相は5月に退陣に追い込まれ、後継は対独強硬派のチャーチルが首相に就任します。しかし、チャーチルが就任した時は既に西部戦線の英仏軍は崩壊しており、6月14日パリ陥落、6月22日にはフランスは降伏します。フランスは戦争による損害を恐れて同盟国を見捨てた結果、今度は自分の国が占領されてしまったのです。
これからも一緒に歴史を学んで未来をより良くしていきましょう!最後まで読んでいただきありがとうございました。
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