古代西ヨーロッパとは?ケルト人からローマ帝国、ゲルマン人の大移動までをわかりやすく解説

こんにちは!歴史ワールド管理人のふみこです。

今回は、古代西ヨーロッパの歴史について解説します。

古代とは?西ヨーロッパとは?についてはそれぞれ解説した記事があるのでそちらをご覧ください。

古代西ヨーロッパの歴史は、まず先住民族のケルト人が独自の文化を築き、ローマによって征服され、最後にゲルマン人が侵入してくるという流れです。

この記事では、古代西ヨーロッパの歴史を解説します。

目次

先住民族ケルト人

中央アジアを原住地とするインド=ヨーロッパ語族諸族は紀元前2000年頃からユーラシア大陸各地に離散していきますが、西ヨーロッパに入ったのはケルト人、ゲルマン人、ラテン人でした。

中でも最も規模が大きく広範囲に定住したのがケルト人です。ケルト人は西ヨーロッパに鉄器をもたらし、高い農耕牧畜技術を持っていました。ドイツ、ブリテン島(イギリス)、アイルランド、ガリア(フランス)、イベリア半島など西ヨーロッパの広い範囲に広がります。

ケルト人は統一された勢力や国を持っておらず、部族同士で争っていました。ガリア人、ブリトン人、ゲール人、スコット人などです。紀元前4世紀にはイタリア半島に侵入して一時的にローマを占領したケルト人の一派もいました。

ラテン人は、紀元前1000年頃にイタリア半島に移住します。

ローマの繁栄

イタリア半島のラテン人は先住民族のエトルリア人の支配を受けたりしながら勢力を拡大し、都市国家に成長します。紀元前509年にエトルリア人の王を追放してから共和政に移行し、貴族の合議体である元老院が支配する貴族共和政となります。ローマは紀元前3世紀にイタリア半島を統一します。その後は地中海に勢力を拡大し、3度のポエニ戦争で北アフリカのカルタゴを破ります。ギリシアやエジプトも征服し、紀元前1世紀に地中海を統一します。紀元前1世紀、ローマの将軍カエサルはガリア遠征を行います。ガリアは現在のフランスです。カエサルはガリアのケルト人を破ってガリアの全域を支配し、ブリテン島にも勢力を拡大します。ライン川の北からたびたび侵入してくるゲルマン人も退け、ローマは西ヨーロッパの大部分を支配します。

ローマはギリシアを受け継いだ市民政治による共和政でしたが、紀元前27年にオクタウィアヌスが元老院から権力を与えられる形で、帝政が始まります。ローマ時代には優れた文化や建築物が多数生まれ、テルマエ=ロマエに描かれる浴場などの娯楽施設も生まれるなど、現代から見ても驚くような発展を遂げます。

ゲルマン人の大移動

ゲルマン人は、中央〜東ヨーロッパに定住して多くの部族に分かれて農耕牧畜を営んでいました。次第に西方への進出を始め、西ヨーロッパのケルト人を圧迫するようになります。紀元前2世紀頃にはイタリア半島に侵入することもあり、ローマと衝突します。紀元前1世紀のカエサルによるガリア遠征では、ライン川を越えてドイツに侵入してきたローマとゲルマン人が激しく衝突します。

4世紀、突如として中央アジアにいたアジア系騎馬遊牧民のフン人が西進し、ゲルマン人の居住していた中央〜東ヨーロッパに侵入します。圧迫されたゲルマン人は西ローマ帝国領内に侵入し、弱体化していた西ローマ帝国で権力を獲得していきます。フン人の西進は続きましたが、451年に西ローマとゲルマンの連合軍が北フランスのカタラウヌムの戦いでフンを破り、フンはパンノニア(ハンガリー)に退きます。ゲルマン人は西ローマ帝国内に複数の国を作り、西ローマ帝国の中でさらに権力を強めます。476年、西ローマ帝国の傭兵隊長であったゲルマン人のオドアケルが皇帝を廃し、西ローマ帝国は滅亡します。

ゲルマン人は組織的に西ローマ帝国を武力で滅ぼしたのではなく、西ローマ帝国の社会の中で権力を拡大し、最終的に乗っ取ったのです。

西ローマ帝国滅亡後の西ヨーロッパには多数のゲルマン人国家が乱立します。ブリテン島のアングロサクソン七王国、北フランスのフランク、南東フランスのブルグンド、南西フランスからイベリア半島の西ゴート王国、北アフリカのヴァンダル王国、イベリア半島西北部のスエヴィ王国などです。やがてこの中からフランク王国が台頭していきます。


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この記事を書いた人

大学で世界史を専攻していて現在も学び続けている会社員が、世界史を詳しくわかりやすく解説!

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