【時代解説:1940〜1945年】第二次世界大戦が世界規模に広がって膨大な犠牲を出して終結した頃の世界史を解説!

こんにちは!歴史ワールド管理人のふみこです!

今回は、1940〜1945年の、第二次世界大戦が世界規模に広がって膨大な犠牲を出して終結した頃の世界史を解説します。

フランスを破ってヨーロッパの大半を支配下に入れたヒトラー率いるドイツは、もともと不倶戴天の敵であった共産主義国家のソ連にも侵攻します。ソ連と米英は敵対していましたが、ドイツ打倒のため手を結びます。そしてアジアでは日本が真珠湾攻撃を行なってアメリカ・イギリス・オランダに宣戦布告し、第二次世界大戦は世界規模に広がります。序盤は枢軸国が優勢でしたが次第に連合国が逆転し、最終的には連合国の勝利で終わります。

この記事では、そんな1940〜1945年はどんな世界だったのか、分かりやすく解説します。

目次

1940〜1945年はどんな世界だったのか

ヨーロッパ戦線(第二次世界大戦)

1941年4月、ドイツはバルカン半島に侵攻し、バルカン半島全土を支配下に置きます。そして6月、独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻し、独ソ戦が始まります。独ソ戦の始まりによってこれまで敵対していた米英とソ連が接近し、連合国を形成します。独ソ戦は当初はドイツが優位でしたが、次第にソ連に押し返されていきます。12月、日本が真珠湾攻撃をするとドイツ・イタリアもアメリカに宣戦布告します。

1942年、ヒトラーはユダヤ人を絶滅させるホロコースト政策を決定し、占領地でユダヤ人を次々に虐殺していきます。1943年以降は完全に連合国側が優勢となり、2月にスターリングラードの戦いでソ連に敗北、7月に米英軍がシチリア島に上陸して9月にイタリア降伏、1944年6月には米英軍がノルマンディー上陸作戦を実施して8月にパリを解放します。それからは米英軍が西から、ソ連軍が東からドイツ本土に迫り、1945年4月、ヒトラーは自殺、5月にはソ連軍によりベルリンが陥落してドイツは連合国に無条件降伏します。ドイツは西半分が米英仏、東半分がソ連に占領されます。

アジア・太平洋戦線(第二次世界大戦)

日本とアメリカは戦争を避けるために交渉を行いますが、1941年7月に日ソ中立条約を結んだ上でフランス領インドシナ南部に進駐したところ、アメリカが日本への石油輸出を全面的に禁止します。これにイギリス・オランダも加わり、日本包囲網が形成されます。石油資源確保のため、日本は12月、真珠湾攻撃を実施してアメリカ・イギリス・オランダに宣戦布告し、東南アジアに進出します。1942年前半の日本軍は破竹の勢いで東南アジア全域を占領しますが、6月のミッドウェー海戦でアメリカ軍に敗れてからは連合国が優勢となります。1943年2月にはガダルカナル島から撤退、1944年7月にはサイパン島が陥落して日本本土への空襲が始まります。1945年6月には沖縄も占領され、8月には広島・長崎に原爆が落とされ、さらにソ連も日ソ中立条約を破って侵攻してきたため、日本は無条件降伏します。日本は分割統治されず、アメリカが占領します。

こうして、人類史上最大規模の戦争である第二次世界大戦は、6年間続いた結果、数千万人の犠牲を出して終結したのです。

1940〜1945年は第二次世界大戦が世界規模に広がって膨大な犠牲を出して終結した時代

このように、1940〜1945年は第二次世界大戦が世界規模に広がって膨大な犠牲を出して終結した時代でした。フランスを破ってヨーロッパの大半を支配下に入れたヒトラー率いるドイツは、もともと不倶戴天の敵であった共産主義国家のソ連にも侵攻します。ソ連と米英は敵対していましたが、ドイツ打倒のため手を結びます。そしてアジアでは日本が真珠湾攻撃を行なってアメリカ・イギリス・オランダに宣戦布告し、第二次世界大戦は世界規模に広がります。序盤は枢軸国が優勢でしたが次第に連合国が逆転し、最終的には連合国の勝利で終わります。

これからも一緒に歴史を学んで未来をより良くしていきましょう!最後まで読んでいただきありがとうございました。

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