【時代解説:1800〜1825年】ナポレオンが欧州全体へ自由主義の波及を目指すも敗れ絶対王政が復活した頃の世界史を解説!

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今回は、1800〜1825年の、ナポレオンが欧州全体へ自由主義の波及を目指すも敗れ絶対王政が復活した頃の世界史を解説します。

フランス革命で頭角を表したナポレオンが皇帝に即位し、ヨーロッパ各国を破って一時的に欧州大陸の大半を支配しますが、敗れた後は各国で絶対王政が復活し、フランス革命によって各国で高揚した自由主義・ナショナリズムが抑圧されます。

この記事では、そんな1800〜1825年はどんな世界だったのか、分かりやすく解説します。

目次

1800〜1825年はどんな世界だったのか

ヨーロッパ

フランス革命から頭角を表したナポレオン・ボナパルトは1804年に皇帝に即位し、ナポレオン1世となります。ナポレオンは革命の成果を固定させるため、法の下の平等や契約の自由などを定めたナポレオン法典を制定します。このような自由主義・ナショナリズムの波及を恐れた欧州各国は第3回対仏大同盟を結んで対抗します。ナポレオンはまずイギリス上陸を目指しますが1805年10月のトラファルガーの海戦で敗れ、イギリス上陸は断念します。しかし、陸ではフランスの圧勝で、1805年12月のアウステルリッツの戦いでオーストリア・ロシアの連合軍を破り、1806年7月のライン同盟成立、1806年11月の大陸封鎖令、1807年7月のティルジット条約によって、ナポレオンの欧州大陸支配が完成します。

しかし、1808年にスペインでナポレオンに対する反乱が起き、長期化します。さらに1810年に大陸封鎖令による経済悪化に耐えられなくなったロシアが大陸封鎖令を破棄してイギリスと貿易を始めると、1812年にナポレオンはロシア遠征を行いますが、ロシア軍の焦土作戦とロシアの冬の寒さによって大敗します。ここが転換点となり、ナポレオンの勢いは衰えます。1813年には全ヨーロッパが参加する第4回対仏大同盟が結ばれ、各国の連合軍に敗れて1814年4月にはパリが陥落してナポレオンは退位させられ、地中海のエルバ島に流刑になります。その後の欧州の体制について各国が話し合うウィーン会議が設けられますが、結論が出ないままでいるとナポレオンがエルバ島を脱出してパリに帰還します。そうなると慌てた各国は結束して1815年6月にワーテルローの戦いでナポレオンは再び敗れ、南大西洋のセントヘレナ島に流され、ナポレオンはそこで生涯を終えます。

ナポレオンを破った各国は自由主義・ナショナリズムの広がりを恐れて絶対王政を復活させ、フランス革命前の状態に戻すウィーン体制が1815年6月に成立します。その後も自由主義・ナショナリズムを求めて欧州各地で民衆の反乱が起こり、各国は必死に鎮圧しますが、フランス革命・ナポレオンによって高揚した自由主義・ナショナリズムの動きを止めることは次第に難しくなります。

アメリカ

独立したばかりのアメリカ合衆国は領土拡大と発展を続けます。1803年にはルイジアナをフランスから購入して大陸中部に進出、1812〜1814年の米英戦争勝利によって経済的に自立して北部の工業化を進め、1819年にはスペインからフロリダを購入します。そして1823年にはモンロー大統領がモンロー宣言を行います。これは、アメリカ合衆国がヨーロッパに干渉しない代わりに、ヨーロッパ諸国のアメリカ大陸への干渉にも反対する、といった内容です。ここから20世紀前半までアメリカ合衆国の外交政策はこの理念を基本方針とし、孤立主義となります。

中米・南米のラテンアメリカ諸国にもフランス革命の影響が波及して多くの国が独立を達成します。1804年にカリブ海のハイチがフランスから独立して最初の黒人国家を誕生させると、それに続いて1811年にベネズエラ独立、1816年にアルゼンチン独立、1818年にチリ独立、1819年コロンビア独立、1821年ペルーとメキシコ独立、1822年ブラジル独立、1823年中央アメリカ連邦独立、1825年ボリビア独立と、次々に独立が連鎖していきます。

西アジア・中央アジア

衰退するオスマン帝国も近代化を試みます。中でもエジプトでは1805年からのエジプト総督ムハンマド=アリーによる近代化改革が進みます。そして1811年には実質的にオスマン帝国から独立します。ギリシアでも1821年から独立戦争が起き、ヨーロッパ各国が支援します。さらに1812年には露土戦争に敗れてロシアによってベッサラビアが併合され、オスマン帝国の領土はどんどん縮小していきます。

東アジア

清は1796〜1804年の白蓮教徒の乱によって衰退し始めます。日本も江戸幕府が衰退する中、ヨーロッパ各国の船の来航が相次ぎ、1825年に異国船打払令が発令され、外国船を追い返すようになります。

南アジア・東南アジア

インドではイギリスによる植民地化が進み、1775〜1818年のマラータ戦争で勝利したイギリスはインド中部にまで支配を広げます。さらに1819年にはシンガポールを買収し、東南アジアへの進出も始めます。ベトナムでは1802年に阮福暎が南北統一し、越南国(阮朝)が成立します。

1800〜1825年はナポレオンが欧州全体へ自由主義の波及を目指すも敗れ絶対王政が復活した時代

このように、1800〜1825年はナポレオンが欧州全体へ自由主義の波及を目指すも敗れ絶対王政が復活した時代でした。フランス革命で頭角を表したナポレオンが皇帝に即位し、ヨーロッパ各国を破って一時的に欧州大陸の大半を支配しますが、敗れた後は各国で絶対王政が復活し、フランス革命によって各国で高揚した自由主義・ナショナリズムが抑圧されます。

これからも一緒に歴史を学んで未来をより良くしていきましょう!最後まで読んでいただきありがとうございました。

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