こんにちは!歴史ワールド管理人のふみこです!
今回は、世界史の地域区分の1つ、「東南アジア」について解説します。アジア南東部に位置する地域です。
中国とインドの影響を受けてさまざまな国家が興亡を繰り返しますが、この地域全体を統一する国家は現れず、19世紀からタイを除く全ての地域がヨーロッパ諸国の植民地となります。1945年の第二次世界大戦終結後に多くの国が独立しし、現在では東南アジア諸国連合(ASEAN)としてまとまりを見せています。
では、東南アジアはどこからどこまでで、どういう地形で、どんな気候で、どんな宗教を信じる人が多く、どんな人種や言語で構成されているのでしょうか。そして、どんな歴史を辿ってきたのでしょうか。
この記事では、「東南アジア」の範囲、地理、気候、宗教、人種、言語、歴史について徹底的に解説します。

東南アジアの範囲
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上の図の紫色の範囲が「東南アジア」です。東南アジアは大陸部と島嶼部の2つに大きく分けられます。大陸部はミャンマー、タイ、ベトナムなどのインドシナ半島、島嶼部はマレー半島、インドネシア、フィリピンなどの島々です。
東南アジアの地理

東南アジアは熱帯雨林(ジャングル)が多い地形です。山地や平原も多く分布しています。大陸部ではメコン川、チャオプラヤ川、紅河などの大河周辺に国が発展してきました。特にベトナム北部の紅河周辺は中国に度々支配され、中国の影響を強く受けてきました。島嶼部ではマラッカ海峡周辺に国が発展してきました。マラッカ海峡は中国とインドを結ぶ海上交易の要衝です。
東南アジアの気候

東南アジアはほとんどが熱帯(Af、Am、Aw )に属しています。島嶼部は熱帯雨林気候(Af)が多く、大陸部はサバナ気候(Aw)が多くなっています。ベトナム北部の紅河周辺とミャンマー北部は温帯冬季少雨気候(Cwa)に属します。東南アジアの気候に共通しているのは、乾季と雨季がはっきりしていることです。
東南アジアの宗教

東南アジアの大陸部は仏教が多く、島嶼部はイスラム教スンナ派が多くなっています。大陸部は中国とインドの影響により仏教が多くなっています。島嶼部は、海上交易を通してイスラム商人たちがイスラム教を広めたため、イスラム教が広まりました。スペインの植民地であったフィリピンでは、スペインによる改宗政策の影響でカトリックが多くなっています。
東南アジアの人種・言語

「人種」とは、遺伝的・身体的特徴をもとにした人類の集団です。東南アジアは全域がモンゴロイド(黄色人種)が多い地域となっています。「語族」とは、同じ語源から分化したと想定される言語群です。ミャンマー、タイ、ラオス北部はシナ=チベット諸語、ベトナム、カンボジア、ラオス南部はオーストロアジア語族、島嶼部はオーストロネシア語族です。似たような概念に「民族」があります。民族とは、文化的特徴を共有する人間集団です。インドネシア人、タイ人などです。
東南アジアの歴史
古代

1世紀、メコン川下流に最初の東南アジア国家である扶南が建国されます。2世紀には、ベトナム中部から南部にチャンパー(林邑)建国されます。
中世

8〜9世紀にはマラッカ海峡でシュリーヴィジャヤが海上交易によって繁栄し、カンボジアではアンコール朝が成立します。インドや中国の影響を受け始めます。

10世紀にはジャワ島でクディリ朝が成立します。11世紀にはベトナム北部に大越国(李朝)が成立して中国の支配を脱し、ビルマではパガン朝が成立します。アンコール朝はタイを支配し、全盛期を迎えます。

13世紀にはタイでスコータイ朝が成立します。ベトナム北部の大越国はモンゴルの侵攻を防ぐことに成功します。
近世

15世紀にはマラッカ王国がマラッカ海峡を支配して海上交易で発展します。1431年にはタイのアユタヤ朝がカンボジアのアンコール朝を滅ぼして勢力を伸ばします。
近代

16世紀にはスペインがフィリピンを植民地化し、17世紀にはオランダがインドネシアに進出して植民地化を進めます。イギリスも1819年にシンガポールを買収し、東南アジアへの進出を始めます。ベトナムでは1802年に阮福暎が南北統一し、越南国(阮朝)が成立します。

19世紀末には欧米諸国による東南アジアの植民地化が完了します。ビルマ、マレー半島、ボルネオ北部はイギリス、ベトナム、ラオス、カンボジアはフランス、インドネシアはオランダ、そしてフィリピンはアメリカがスペインから奪いました。独立を維持できたのはタイだけです。
現代

第二次世界大戦中に全域が日本軍に占領された東南アジアは、戦後まもなく一気に独立します。オランダ領のインドネシアは1945年、アメリカ領のフィリピンは1946年、イギリス領のビルマは1948年にそれぞれ独立します。特にインドネシアでは、残留日本軍兵士も独立運動に参加しました。フランス領インドシナでは1945年にラオスが独立しますが、ベトナムとカンボジアではフランスが植民地支配を続けようとし、1946年からインドシナ戦争が勃発します。
1954年にインドシナ戦争が終結し、ベトナム・ラオス・カンボジアの独立が承認され、フランスの植民地ではなくなります。しかし、ベトナムは北緯17度線で南北に分断されます。北ベトナムは社会主義政権であったため、アメリカが南部に傀儡国家を建てて共産主義の進出を防いだのです。ところが、1960年には南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)が結成されて南ベトナムとアメリカに対するゲリラ戦を行います。
1965年にシンガポールがマレーシアから分離独立します。南北に分断されたベトナムでは、東南アジアの共産化を恐れたアメリカが本格的に介入し、1965年にベトナム戦争が起こります。アメリカは北爆を行った上に地上軍も投入し、全面戦争に突入します。しかし、アメリカは国際社会の非難を浴び、国内でも反戦運動が盛り上がります。

ベトナム戦争は南ベトナム政府を認める代わりにアメリカ軍は撤退することで、1973年にベトナム和平協定が結ばれます。しかし、アメリカ軍が撤退した後も南ベトナムと北ベトナムの戦争は続き、1975年に南ベトナムの首都サイゴンが陥落してベトナム戦争は終結し、ベトナムは統一されます。1975年にはラオス、1976年にはカンボジアが共産化し、インドシナ半島の3国は全て共産国家となります。特にカンボジアのポル=ポトは国民を虐殺するなど、歴史的に有名な暴君です。
ベトナム戦争に勝利して南北統一したベトナムは1986年からドイモイ政策によって市場経済を導入します。1984年にはイギリス植民地のブルネイが独立し、1988年にはビルマで軍事クーデタが勃発します。
東南アジア諸国のまとまりも加速しています。1967年にバンコク宣言に基づいてASEAN(東南アジア諸国連合)が設立されます。原加盟国は5カ国でしたが、1999年以降は10カ国が加盟しています。2025年5月のASEAN外相会議にて東ティモールが加盟することが決定され、加盟国は11カ国となり東南アジア域内のすべての国が加盟することになりました。