こんにちは!歴史ワールド管理人のふみこです!
今回は、世界史の地域区分の1つ、「北アジア」について解説します。アジア北部に位置する地域です。
「シベリア」という呼び方もあり、こちらのほうが一般的です。厳密には「北アジア」と「シベリア」はやや範囲が異なるのですが、同じようなものだと思っていただいて大丈夫です。
先住民の国家はほぼ形成されず、17世紀頃からロシア帝国が進出してこの地域を支配し、以後はソ連・ロシア連邦などロシア国家の支配下となります。
では、北アジアはどこからどこまでで、どういう地形で、どんな気候で、どんな宗教を信じる人が多く、どんな人種や言語で構成されているのでしょうか。そして、どんな歴史を辿ってきたのでしょうか。
この記事では、「北アジア」の範囲、地理、気候、宗教、人種、言語、歴史について徹底的に解説します。

北アジア(シベリア)の範囲
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上の図の紫色の範囲が「北アジア」です。全域がロシア連邦の領土です。一般的に「シベリア」と「極東ロシア」と呼ばれる地域を含みます。狭義では日本海・オホーツク海沿岸の「極東ロシア」は「シベリア」には含みませんが、広義では「シベリア」に含みます。
北アジア(シベリア)の地理

寒冷で乾燥した気候のためタイガと呼ばれる針葉樹を中心とした広大な森林地帯がほとんどです。オビ川、エニセイ川、レナ川といった大河はすべて北の北極海へ流れています。ヨーロッパ・ロシアとの境界にはウラル山脈が広がり、満州との境界にはウスリー川と黒竜江が流れています。
北アジア(シベリア)の気候

北アジアは大部分が冷帯(亜寒帯)湿潤気候(Dfb、Dfc)に属します。シベリア南部や極東ロシアの一部地域は冷帯(亜寒帯)冬季少雨気候(Dwb、Dwc)に属します。北極海沿岸地域は寒帯のツンドラ気候(ET)と氷雪気候(EF)に属します。北アジアの気候の特徴は、乾燥していて気温の年較差が非常に大きく、冬の寒さが非常に厳しいことです。
北アジア(シベリア)の宗教

ロシア人植民者の多い南部は正教徒が多く、先住民の多い中部・北部は自然崇拝や土着宗教が多いです。仏教、ユダヤ教、イスラム教などを信仰する人々も多く、多様な宗教が信仰されています。
北アジア(シベリア)の人種・言語

「人種」とは、遺伝的・身体的特徴をもとにした人類の集団です。北アジアは南部にコーカソイド(白人)が多く、中部・北部はモンゴロイド(黄色人種)が多いです。「語族」とは、同じ語源から分化したと想定される言語群です。北アジアは南部にインド=ヨーロッパ語族が多く、北西部にウラル語族、中部から東部にアルタイ諸語がいます。上の図の「語派」とは、語族をさらに細分化したものです。インド=ヨーロッパ語族は、ゲルマン語派・ラテン語派・スラヴ語派・ケルト語派・ギリシア語派などに細分化されます。北アジア南部はほとんどがスラヴ語派です。ロシア語はスラヴ語派です。似たような概念に「民族」があります。民族とは、文化的特徴を共有する人間集団です。ロシア人、アイヌ人などです。
北アジア(シベリア)の歴史
古代



シベリア南部には紀元前200年頃からモンゴル高原の匈奴が勢力を伸ばし、3世紀から5世紀にはキルギスなどが建国されます。シベリア南東部にはのちに靺鞨や女真と呼ばれるツングース系民族が広がります。
中世


6世紀には突厥がシベリア南部に勢力を伸ばしますが、7世紀には突厥を倒した中国の唐がシベリア南部から南東部を支配下に入れます。

8〜9世紀には唐の勢力が後退し、シベリア南部にはキルギスやウイグルが、シベリア南東部には契丹や渤海が建国されます。

10世紀にはモンゴル系遊牧民の遼がシベリア南東部に大帝国を築きます。

12世紀には遼を滅ぼしたツングース系女真族が金を建国し、シベリア南東部を支配します。

13世紀にはユーラシア大陸をまたがる帝国を築いたモンゴル帝国の元がシベリア南部から南東部を支配します。
近世


16世紀から、モスクワ大公国(ロシア帝国)のシベリア進出が進みます。17世紀にはオホーツク海まで到達し、シベリアの大部分はロシア帝国の植民地になります。しかし、このロシア帝国の東進はツングース系女真族が中国に建てた清との衝突を生みます。これは清に有利な領土確定であり、ロシア帝国の南進は阻まれました。
近代

19世紀になると清の弱体化によりロシア帝国の進出が強まります。1858年のアイグン条約と1860年の北京条約により沿海州(外満州)を獲得し、不凍港ウラジオストクを手に入れます。1875年には日本との間に樺太千島交換条約を結び、樺太全土を獲得します。

1904〜1905年の日露戦争で勝利した日本はロシアから南樺太を獲得します。
現代

1917年のロシア革命でロシア帝国は滅亡し、1922年にソ連が建国されます。内戦に勝利したソ連はロシア帝国の領土を受け継ぎ、北アジアの大部分を支配します。シベリアは政治犯などの流刑地としても使われます。

1945年に第二次世界大戦が終結すると、敗戦した日本は南樺太と千島列島を放棄します。ソ連が実効支配しますが、帰属は未定です。シベリアには多くの日本人が抑留され、強制収容所で過酷な労働に従事させられます。帰国できたのはごく一部です。これは「シベリア抑留」といいます。

1991年にソ連が崩壊すると、独立したロシア連邦が北アジアの領土を受け継ぎます。