【時代解説:紀元前400年〜300年頃の世界】ユーラシア各地で帝国建設の動きが活発化した頃の世界史を解説!

こんにちは!歴史ワールド管理人のふみこです!

今回は、紀元前400年〜300年頃の、ユーラシア各地で帝国建設の動きが活発化した頃の世界史について解説します。

オリエントではアレクサンドロスが大帝国を建設し、インドではマウリヤ朝勢力を拡大し、中国では戦国時代の覇者たちの中から秦が覇権を確立させます。その頃、地中海ではローマがイタリア半島を統一しようとしていました。

この記事では、そんな紀元前400年〜300年頃はどんな世界だったのか、分かりやすく解説します。

目次

紀元前400年〜300年頃はどんな世界だったのか

オリエント・地中海地域

ペルシアはギリシア人同士争うように仕向けたため、スパルタ・テーベと一時的に覇権を握るもすぐに他のポリスに攻撃され、ギリシアは小国分立状態が続きます。これに終止符を打ったのが北方のマケドニアです。紀元前4世紀にフィリッポス2世のもとで急速に勢力を拡大し、ギリシアの連合軍を紀元前338年にカイロネイアの戦いで破ってギリシア世界を統一します。フィリッポス2世の息子であるアレクサンドロス大王が後を継ぐと、アレクサンドロスは卓越した軍事の才能を発揮して逆にペルシアを征服します。紀元前334年に遠征に出発すると連戦連勝し、紀元前330年にアケメネス朝ペルシアを滅ぼし、さらに軍を進めてインド西北部まで至る大帝国を建設します。アレクサンドロスは、ギリシア文化とオリエント文化の融合に努めたため、ギリシア文化が各地に広がっていきます。しかし、紀元前323年、急死し、彼の死後すぐに帝国は分裂してしまいます。

地中海中部のイタリア半島では、紀元前509年にエトルリア人の支配を脱してから、ラテン人が建国した都市国家ローマがイタリア半島の征服を進めていました。ローマはこの頃は共和政であり、貴族の会議である元老院と、平民の会議である平民会があり、両者は対立していました。しかし、平民は重装歩兵として国防に不可欠であり、徐々に平民の発言権が向上していった結果、紀元前367年のリキニウス・セクスティウス法と紀元前287年のホルテンシウス法により、貴族と平民は政治上の権利が同等となります。

中国

戦国時代に入ると諸侯の争いは激しくなり、戦国の七雄と呼ばれる有力諸侯に絞られます。斉・楚・秦・燕・韓・魏・趙の7つです。この頃に鉄器も普及し、生産力・軍事力が飛躍的に向上します。次第に西方の秦が勢力を伸ばし、蘇秦という戦略家が東方六国が連合して秦に対抗する合従策を唱えますが、張儀による秦が東方六国とそれぞれ連合する連衡策によって破られ、秦の覇権が確立します。この蘇秦と張儀はともに縦横家と呼ばれます。

インド

紀元前4世紀後半になると、チャンドラグプタ王が建てたマウリヤ朝がマガダ国を倒し、インダス川流域や南方のデカン地方も征服し、インドの大部分を支配下に置きます。

その他の地域

騎馬遊牧民の世界では、現在のウクライナ地域でスキタイが勢力を伸ばし、モンゴル高原では匈奴が勢力を伸ばします。

紀元前400年〜300年はユーラシア各地で帝国建設の動きが活発化した時代

このように、紀元前400年〜300年は、ユーラシア各地で帝国建設の動きが活発化した時代でした。オリエントではアレクサンドロスが大帝国を建設し、インドではマウリヤ朝勢力を拡大し、中国では戦国時代の覇者たちの中から秦が覇権を確立させます。その頃、地中海ではローマがイタリア半島を統一しようとしていました。

これからも一緒に歴史を学んで未来をより良くしていきましょう!最後まで読んでいただきありがとうございました。

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