【時代解説:紀元前1000年〜600年頃】鉄器が広がり最初の世界帝国が誕生した頃の世界史を解説!

こんにちは!歴史ワールド管理人のふみこです!

今回は、紀元前1000年〜600年頃の、鉄器が広がり最初の世界帝国が誕生した頃の世界史について解説します。

青銅器から鉄器への移行により生産力が拡大し、鉄製の武器は青銅器の武器と比べてはるかに強力です。鉄製武器による軍事力の向上は、世界帝国を生み出します。世界帝国とは、複数の民族や文明圏を支配する覇権国家のことです。

この記事では、そんな紀元前1000年〜600年頃はどんな世界だったのか、分かりやすく解説します。

目次

紀元前1000年〜600年頃はどんな世界だったのか

オリエント地域

ミタンニ王国の属国だったアッシリアは、独立を回復した後に勢力を拡大します。紀元前8世紀後半から勢力を大きく拡大し、メソポタミアを征服します。アッシリアでは鉄製の武器が普及しており、それがアッシリアの軍事力の源でした。紀元前7世紀前半にはエジプトも征服し、オリエントを統一して最初の世界帝国を築き上げます。

アッシリア帝国は中央集権的な専制君主国家で、重税と圧政で諸民族を支配します。しかし、諸民族の反抗を招き、紀元前612年に新バビロニア・メディアの連合軍に敗れて滅亡します。

アッシリア帝国の崩壊後、オリエントにはエジプト、アナトリアのリディア、メソポタミアの新バビロニア、イラン高原のメディアの4つの王国が分立します。

地中海地域

ギリシアは紀元前12〜8世紀の間、「暗黒時代」という混乱した時代でしたが、この時期に鉄器が普及します。暗黒時代には人々はバラバラに住んでいましたが、紀元前8世紀に入ると集住し始め、都市国家ポリスを形成します。ポリスの形成によって社会が安定して人口が増加すると、紀元前8世紀半ばから紀元前6世紀にかけてギリシア人は地中海全域に植民活動を行います。この時代は大植民時代とも呼ばれます。

中国

紀元前11世紀に建国された周は、王の一族や有力な臣下を諸侯にして各地を治めさせる封建制で統治していましたが、周王と諸侯の関係も時が経つにつれて疎遠となり、王権が衰え諸侯たちの権力が強くなっていきます。紀元前770年に異民族の侵入により都を鎬京から洛邑に遷都した後は、周王は完全に実権を失って名目上の存在となります。この紀元前770年以前を西周、以後を東周と呼びます。さらに東周の時代を2つに分け、前半の紀元前403年までを春秋時代と呼びます。春秋時代は、各地の有力な諸侯が互いに覇を競った時代で、孔子をはじめとする諸子百家を呼ばれるさまざまな思想家も登場します。鉄器もこの頃普及しました。

インド

紀元前1000年頃から、アーリア人はインダス川上流からガンジス川上流へと移動し、鉄器も普及します。敵機を使用した農耕社会が定着したことで生産力が上がり、貧富の差が生まれて強い権力を持った王が人々を支配するようになります。「カースト制度」として知られるヴァルナ制というインド独自の身分制度もこの頃生まれます。上から、バラモン(司祭)、クシャトリヤ(王族・武人)、ヴァイシャ(平民)、シュードラ(隷属民)です。このヴァルナ制は、他の身分の者と結婚したり食事をすることも制限される厳格な身分制度となります。

その他の地域

日本では、紀元前660年2月11日、日本列島を作ったイザナギ・イザナミの娘である天照大神の孫の曾孫の神武天皇が初代天皇に即位し、日本を建国したとされています。この日は現在でも建国記念の日とされ、国民の祝日です。

紀元前 1000〜600年は、鉄器が広がり最初の世界帝国が誕生した時代

このように、紀元前1000年〜600年は、青銅器に代わって鉄器が広がり、その影響で生産力と軍事力が一気に向上し、アッシリア帝国という、全オリエントを統一した最初の世界帝国が誕生した時代でした。

これからも一緒に歴史を学んで未来をより良くしていきましょう!最後まで読んでいただきありがとうございました。

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