【地域解説:アフリカ】人類発祥の地!貧困と紛争にあえぐ未開の暗黒大陸について解説!

こんにちは!歴史ワールド管理人のふみこです!

今回は、世界史の地域区分の1つ、「アフリカ」について解説します。ヨーロッパの南に位置する大陸です。

最初の人類は、約700万年前にアフリカの森林で誕生したサへラントロプスだとされています。アフリカは人類発祥の地です、

しかし、国家の形成は遅れており、大きい勢力を持った国家は一度も現れることはなく、古代から近世まで小国が点在するだけでした。16世紀からスペインやポルトガルの植民地ができ、19世紀には大部分がヨーロッパ諸国の植民地となります。1950〜1960年代に多くの国が独立しますが、現代でも経済は弱く紛争も絶えず、発展途上国がほとんどとなっています。

では、アフリカはどこからどこまでで、どういう地形で、どんな気候で、どんな宗教を信じる人が多く、どんな人種や言語で構成されているのでしょうか。そして、どんな歴史を辿ってきたのでしょうか。

この記事では、「アフリカ」の範囲、地理、気候、宗教、人種、言語、歴史について徹底的に解説します。

目次

アフリカの範囲

上の図の紫色の範囲が「アフリカ」です。エジプトやモロッコなどの北アフリカは地理的にはアフリカに属しますが、歴史的に西アジア(中東・オリエント)や地中海世界と関係が深いため、世界史ではアフリカに北アフリカは含めません。

アフリカの地理

アフリカは砂漠と熱帯雨林(ジャングル)が多い地形です。エチオピアは高原です。北アフリカとは広大なサハラ砂漠で隔てられています。そのため中世まではヨーロッパや北アフリカの強国に征服されることはありませんでした。

アフリカの気候

北から順に乾燥帯(BWh、BSh)、熱帯(Af、Am、Aw)温帯(Cwa、Cwb)が順に並んでいます。アフリカの気候の特徴は、南アフリカやエチオピアの高地などの一部地域を除いて、赤道に近いため高温なことです。

アフリカの宗教

北部のサハラ砂漠に近い地域は北アフリカやオリエントの影響でイスラム教スンナ派が多いです。南アフリカはオランダやイギリスの植民地支配の影響でプロテスタントが多くなっています。エチオピアは独自のキリスト教教会であるエチオピア正教会が多いです。

アフリカの人種・言語

「人種」とは、遺伝的・身体的特徴をもとにした人類の集団です。アフリカは大半がネグロイド(黒人)が多い地域となっています。東部はコーカソイド(白人)とネグロイドの混血が多いです。ナミビアはオーストラロイド、マダガスカルはモンゴロイドが多いです。「語族」とは、同じ語源から分化したと想定される言語群です。アフリカは北部がアフロ=アジア語族とナイル=サハラ諸語、中南部がニジェール=コルドファン諸語、マダガスカルがオーストロネシア語族です。南部の一部地域にはコイサン語族とインド=ヨーロッパ語族がいます。上の図の「語派」とは、語族をさらに細分化したものです。インド=ヨーロッパ語族は、ゲルマン語派・ラテン語派・スラヴ語派・ケルト語派・ギリシア語派などに細分化されます。南アフリカはゲルマン語派です。アフロ=アジア語族にはセム語派と非セム語派があります。アフリカにいるのはセム語派です。似たような概念に「民族」があります。民族とは、文化的特徴を共有する人間集団です。エチオピア人、南アフリカ人などです。

アフリカの歴史

古代

紀元前9世紀にスーダンに成立したクシュ王国が最初のアフリカ国家です。紀元前6世紀からメロエ王国に改称します。1世紀にはエチオピアの前身であるアクスム王国が成立し、4世紀にメロエ王国を滅ぼします。

中世

7〜9世紀にはガーナ王国がサハラ縦断交易で栄えます。10世紀にはアフリカ東岸都市がインド洋のムスリム商人交易で繁栄します。

13世紀には西部でマリ王国が栄え、エチオピアではアクスム王国の後継であるエチオピア帝国が成立します。15世紀にはマリ王国の勢力は衰えソンガイ王国が成長します。

近世

15世紀から始まった大航海時代によりポルトガルのアフリカ進出が進みます。16世紀からは奴隷貿易が始まり、ポルトガルはアフリカの黒人奴隷をアメリカ大陸に送ります。

17世紀にはオランダが南アフリカにケープ植民地を築きます。ヨーロッパ諸国によるアフリカ分割の始まりです。18世紀末にはイギリスがケープ植民地を占領してオランダから奪います。

近代

1910年頃までにヨーロッパ諸国によるアフリカ分割が完了します。独立を保てたのはエチオピアとリベリアだけでした。リベリアはアメリカ合衆国の保護国だったため、実質的に独立を保てたのはエチオピアのみです。

現代

1918年に第一次世界大戦でドイツが敗北すると、ドイツの植民地はイギリスとフランスで分割されます。

1945年に第二次世界大戦が終結すると、徐々にアフリカ独立の機運が高まります。ヨーロッパ宗主国の弱体化が主な原因です。1951年のリビア独立を皮切りに、次々と独立します。特に1960年は一気に17ヵ国が独立し、「アフリカの年」と呼ばれます。

20世紀末にはほとんどの国が独立を達成したものの、内戦と紛争が絶えず、経済発展も遅れています。植民地支配の中で少数の商品作物や鉱物資源に依存するモノカルチャー経済を強制されたことで、独立後も旧宗主国との関係が続き経済基盤を強化することが難しい状況です。また、植民地支配により民族分布ではなくヨーロッパ諸国の都合で国境線を決められたことが、民族紛争の原因となっています。

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