【時代解説:1980〜1990年】米ソの緊張が高まって新冷戦となるがソ連の弱体化により冷戦が終結した頃の世界史を解説!

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今回は、1980〜1990年の、米ソの緊張が高まって新冷戦となるがソ連の弱体化により冷戦が終結した頃の世界史を解説します。

ソ連のアフガニスタン侵攻によって、米ソの緊張が再び高まります。新冷戦と呼ばれます。しかし、ソ連経済の行き詰まりによってソ連が社会主義経済を自由化させると、東欧諸国も自由化して東西ドイツも統一されてベルリンの壁は崩壊し、冷戦が終結します。

この記事では、そんな1980〜1990年はどんな世界だったのか、分かりやすく解説します。

目次

1980〜1990年はどんな世界だったのか

アメリカ・ソ連

1979年にソ連がアフガニスタンに侵攻したことで緊張緩和は終わり、米ソの対立は再び激化して新冷戦と呼ばれる期間に入ります。アメリカでも1980年に対ソ強硬派のレーガン政権が誕生します。レーガン大統領はソ連を「悪の帝国」と呼んで対抗するための軍備拡張を進め、1983年にはミサイル迎撃のため戦略防衛構想(SDI)を提示します。米ソの緊張が高まって再び核戦争の危機となりますが、この新冷戦を終わらせたのが、1985年にソ連の書記長に就任したゴルバチョフです。ゴルバチョフは1987年にレーガンと中距離核戦力全廃条約を結び、一気に核軍縮を進めて米ソの対立は収まります。ソ連国内では1986年にチェルノブイリ原発事故が発生、ゴルバチョフはペレストロイカと呼ばれる改革を実施し、市場経済の導入を進めます。1989年には中国を訪問して中ソ対立を終わらせ、東欧諸国ではソ連の改革の影響で一気に自立・民主化の動きが起こります。1989年の東欧革命で社会主義国は民主化し、東西ドイツも統一され、ベルリンの壁は破壊されます。これを受けてゴルバチョフはアメリカのブッシュ大統領と1989年にマルタ会談を行い、冷戦の終結を宣言します。そしてアフガニスタンからもソ連軍を撤退させます。

しかし、このような改革を行ったもののソ連経済は回復せず、国内では共産党保守派の反発を生み、さらに改革派からは改革が不十分だと批判されます。ゴルバチョフは権力を失っていき、ソ連の一体性も失われていきます。

ヨーロッパ

東西に分断されていたドイツでは、1989年にベルリンの壁が破壊され、1990年にドイツ統一が実現します。1989年には東欧諸国も民主化し、社会主義政権は全て倒れてソ連からの自立が実現します。さらにバルト3国まで独立します。ECには1981年にギリシアが加盟します。

東アジア

中国でも改革が進みます。1981年から鄧小平による改革開放政策が進められ、文化大革命を全面否定します。経済特区の設置や市場経済の導入により、中国経済は飛躍的に成長します。1989年にはゴルバチョフの訪中によって中ソ対立が終わります。鄧小平は共産党一党支配のもとで経済のみ市場経済化するという方針を取ったため、さらなる民主化を求めた学生などが天安門広場に結集して抗議します。すると政府軍が学生などに対して発砲し、多数の死者が出ます。これは天安門事件と呼ばれます。

日本・韓国・台湾・香港・シンガポールは飛躍的に経済成長し、「東アジアの奇跡」と呼ばれます。特に日本はアメリカへの自動車輸出が増大し、日米貿易摩擦を引き起こすまで成長します。これに対して1985年のプラザ合意で一旦日本の勢いは削がれますが、1986年からのバブル景気で日本の景気は最高潮に達します。

西アジア・アフリカ

1979年にイラン革命が起きてイランがシーア派に支配されると、イラクのフセイン大統領はアメリカと周辺のアラブ諸国の支援のもと、イランに攻め込んでイラン・イラク戦争が勃発します。前半はイラク軍が優勢でしたが後半はイラン軍が巻き返し、結局引き分けで1988年に停戦します。このときアメリカはイラクのフセイン政権に大規模な支援を行ったため、イラク軍は大幅に強化され、フセイン大統領の独裁が強まります。調子に乗ったフセインは1990年に隣国クウェートに侵攻し、石油資源を狙います。

アフリカでは1989年にアンゴラ内戦が勃発し、1990年にはナミビアが独立します。

南アジア・東南アジア

ベトナム戦争に勝利して南北統一したベトナムは1986年からドイモイ政策によって市場経済を導入します。1984年にはイギリス植民地のブルネイが独立し、1988年にはビルマで軍事クーデタが勃発します。

1980〜1900年は米ソの緊張が高まって新冷戦となるがソ連の弱体化により冷戦が終結した時代

このように、1980〜1900年は米ソの緊張が高まって新冷戦となるがソ連の弱体化により冷戦が終結した時代でした。ソ連のアフガニスタン侵攻によって、米ソの緊張が再び高まります。新冷戦と呼ばれます。しかし、ソ連経済の行き詰まりによってソ連が社会主義経済を自由化させると、東欧諸国も自由化して東西ドイツも統一されてベルリンの壁は崩壊し、冷戦が終結します。

これからも一緒に歴史を学んで未来をより良くしていきましょう!最後まで読んでいただきありがとうございました。

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