【時代解説:1950〜1960年】東西陣営の緊張が緩和し第三世界が形成された頃の世界史を解説!

こんにちは!歴史ワールド管理人のふみこです!

今回は、1950〜1960年の、東西陣営の緊張が緩和し第三世界が形成された頃の世界史を解説します。

朝鮮戦争の勃発で東西陣営(主に米ソ)の対立は高まりますが、朝鮮戦争が終わりソ連でスターリンが死去すると、米ソ間の緊張が緩和され、米ソ首脳の会談が実現するなど、平和に向けた動きが加速します。しかし、米ソ両国は軍事バランスで優位に立とうとしたため、核兵器開発競争や宇宙開発競争が激しくなります。一方、東西どちらの陣営にも属さない、第三世界も形成されます。

この記事では、そんな1950〜1960年はどんな世界だったのか、分かりやすく解説します。

目次

1950〜1960年はどんな世界だったのか

アメリカ・ソ連

1953年に朝鮮戦争が終結し、ソ連の指導者スターリンが死去すると、東西両陣営間の緊張が少し緩和し、お互いに協調し始めます。1955年にはジュネーヴ4巨頭会談が実施され、1959年にはソ連指導者フルシチョフの訪米も実現します。

ソ連ではスターリンの次の指導者フルシチョフがスターリン批判を行い、スターリンの強硬路線から平和共存路線に切り替えます。しかし、共産主義陣営内の結束は重視し、NATOに対抗して1955年にWTO(ワルシャワ条約機構)を設立し、1956にポーランドとハンガリーで起こった反ソ暴動は鎮圧します。

アメリカもソ連との会談など緊張緩和に応じつつ自由主義陣営の結束を固めます。1951年にはサンフランシスコ平和条約で日本と講和し日米安全保障条約を結んで同盟国とします。1955年には西ドイツをNATOに加盟させ、西側陣営も結束していきます。

そんな中、カリブ海の国キューバで1959年キューバ革命が起こり、親米独裁政権が倒れて社会主義政権が誕生します。アメリカは革命政府を倒そうとしますが失敗し、キューバはソ連に接近していきます。

ヨーロッパ

2度の大戦で荒廃し世界経済の中心地でなくなったヨーロッパでは、地域統合の動きが生まれます。1952年にはECSC(ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体)、1958年にはEEC(ヨーロッパ経済共同体)、EURATOM(ヨーロッパ原子力共同体)が設立されます。ヨーロッパ諸国の国力も次第に回復し、特に西ドイツでは1949年に就任したアデナウアーが奇跡的な経済復興を成功させ、フランスでは1959年にド=ゴール政権が誕生します。

東アジア

1950年に始まった朝鮮戦争は当初北朝鮮が優勢でソウルを占領してさらに南下し、韓国軍を釜山に追い詰めます。しかし、アメリカ軍を主力とする国連軍は仁川上陸作戦を成功させ、北朝鮮軍の背後を取り一気に形成を逆転させます。国連軍はそのままソウルを解放し平壌も占領し、中国との国境に迫る勢いで北上します。ところが、ここで中国義勇軍が参戦し、国連軍を押し戻して平壌を奪還、再びソウルまで落とします。その後国連軍も巻き返してソウルを奪還しますがそこで戦線は膠着します。朝鮮戦争は1953年に休戦協定が結ばれ、現在まで南北に分かれた状態が続きます。

日本は1951年のサンフランシスコ平和条約・日米安全保障条約で国際社会に復帰し、1954年の自衛隊発足など再軍備も始まります。戦後すぐの日本は戦争の影響で荒廃しましたが、朝鮮戦争による特需景気の影響もあって経済復興し、急速に経済成長を進めていきます。

中国は1958年に大躍進政策を行いますが失敗し、大飢饉が起こり大量の餓死者が出ます。1959年にはチベットを征服し、ダライ=ラマ14世はインドに亡命します。対外的には、1954年にネルー・周恩来会談を行って第三世界に接近しつつ、1959年からは中ソ対立を深め、ソ連をリーダーとする共産主義陣営に対して独自路線を歩みます。

西アジア・アフリカ

1956年、エジプトのナセル大統領がスエズ運河国有化を宣言したところ、反発したイギリス・フランス・イスラエルがエジプトに侵攻し、第2次中東戦争が勃発します。英仏イスラエルは軍事的には勝利しますが、国際社会の非難を浴びて撤退します。スエズ運河はエジプトのものとなります。1960年には産油国でOPEC(石油輸出国機構)が結成されます。

アフリカでは独立する国が現れます。1951年にイタリアの植民地だったリビアが独立し、1956年にはイギリス植民地のスーダン・ガーナ、フランス植民地のチュニジア・モロッコが独立します、さらに1958年にはフランス植民地のギニアが独立します。そして1960年は「アフリカの年」と呼ばれる、多くの国が独立した年です。ナイジェリア・今後など17ヶ国が一気に独立します。

南アジア・東南アジア

インドは、東西どちらの陣営にも属さない第三世界の代表的な国となります。1954年には首相のネルーが中国の周恩来と「平和五原則」を発表し、1955年にはインドネシアのバンドンにてアジア=アフリカ会議が開かれ、第三世界が結集します。

東南アジアでは1954年にインドシナ戦争が終結し、ベトナム・ラオス・カンボジアの独立が承認され、フランスの植民地ではなくなります。しかし、ベトナムは北緯17度線で南北に分断されます。北ベトナムは社会主義政権であったため、アメリカが南部に傀儡国家を建てて共産主義の進出を防いだのです。ところが、1960年には南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)が結成されて南ベトナムとアメリカに対するゲリラ戦を行います。

1950〜1960年は東西陣営の緊張が緩和し第三世界が形成された時代

このように、1950〜1960年は東西陣営の緊張が緩和し第三世界が形成された時代でした。朝鮮戦争の勃発で東西陣営(主に米ソ)の対立は高まりますが、朝鮮戦争が終わりソ連でスターリンが死去すると、米ソ間の緊張が緩和され、米ソ首脳の会談が実現するなど、平和に向けた動きが加速します。しかし、米ソ両国は軍事バランスで優位に立とうとしたため、核兵器開発競争や宇宙開発競争が激しくなります。一方、東西どちらの陣営にも属さない、第三世界も形成されます。

これからも一緒に歴史を学んで未来をより良くしていきましょう!最後まで読んでいただきありがとうございました。

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