【時代解説:16世紀(1501〜1600年)】アジアの国内経済が充実しヨーロッパは海上交易を発展させた頃の世界史を解説!

こんにちは!歴史ワールド管理人のふみこです!

今回は、16世紀の、アジアの国内経済が充実しヨーロッパは海上交易を発展させた頃の世界史を解説します。

アジアでは国内経済が充実し、オスマン帝国・サファヴィー朝・ムガル帝国・明が繁栄していました。ヨーロッパではスペインとポルトガルが新大陸を征服して得た大量の銀を輸出してアジア交易に参入します。

この記事では、そんな16世紀はどんな世界だったのか、分かりやすく解説します。

目次

16世紀はどんな世界だったのか

西ヨーロッパ

新大陸を発見したスペインは新大陸の探検を進め、1519年からマゼランとその部下が世界一周の航海を行います。同時に新大陸の征服も進み、1521年にはコルテスがメキシコのアステカ帝国を征服、1533年にはピサロが南米のインカ帝国を征服し、スペインは中米から南米にかけての広大な地域を支配します。新大陸では大量の銀が生産され、1571年に征服したフィリピンを拠点として、スペインはアジアに銀を輸出して代わりに香辛料・綿・絹・陶磁器を輸入し、アジア交易に参入します。さらに1571年にレパントの海戦でオスマン帝国を破り、スペインは全盛期を迎えて世界の覇権国となりますが、1581年にオランダが独立し1588年にアルマダの海戦でイングランドに敗れるなど、徐々に衰退していきます。

喜望峰経由のアジア航路を開拓したポルトガルは1510年にインドのゴアを占領、1511年にマレー半島のマラッカを占領してインド・中国との交易を始めます。さらに1543年には種子島に漂着して日本に鉄砲を伝え、日本との交易も開始されます。このように、新大陸の銀がヨーロッパに大量に流入したことでヨーロッパでは価格革命が起き、新大陸・アジアとの交易が劇的に発展する商業革命も起こります。

イングランドは1534年に国教会を設立してローマ・カトリック教会から自立し、1558年に即位したエリザベス1世のもとで絶対王政の最盛期を迎えます。フランスも国内の統一を進めつつ16世紀のカルヴァンによる宗教改革によって生まれた新教と旧教の対立を1598年のナントの王令によって終わらせ、主権国家の道を歩み始めます。

神聖ローマ帝国では1517年からのルターによる宗教改革によってカトリックの普遍性が揺らぎ、1524〜1525年のドイツ農民戦争や1546〜1547年のシュマルカルデン戦争など、旧教(カトリック)派の皇帝と新教(プロテスタント)派の対立が激化します。さらに1494年〜1559年にかけてイタリア支配をめぐってフランスと抗争するイタリア戦争が行われます。そんな中、フランスと手を結んだ1529年にオスマン帝国に首都に迫られ第1次ウィーン包囲が行われ、ハンガリーの南半分を失います。

東ヨーロッパ

バルカン半島を支配したオスマン帝国は1529年に第1次ウィーン包囲を行ってハンガリーの南半分を獲得するなど、ヨーロッパ諸国に脅威を与えます。

ロシアは1552年にキプチャク=ハン国から分裂したカザン=ハン国を征服、1582年にはシビル=ハン国を征服し、ウラル山脈を超えて東方に領土を拡大し始めます。

西アジア・中央アジア

オスマン帝国は1512年に即位したセリム1世が1517年にエジプトのマムルーク朝を征服し、メッカ・メディナの保護権を獲得してスンナ派イスラームの盟主となります。続いて1520年に即位したスレイマン1世が1529年に第1次ウィーン包囲で神聖ローマ帝国の首都に迫ってハンガリーの南半分を獲得してバルカン半島の征服を完了させ、1538年のプレヴェザの海戦でスペイン・教皇を破って全盛期を迎えます。しかし、1571年にレパントの海戦でスペインに敗れてからは、徐々に衰退していきます。

1501年にイランに建国されたサファヴィー朝はシーア派の国で、スンナ派のオスマン帝国・ムガル帝国と対立します。16世紀末のアッバース1世のもとで全盛期を迎え、中国・ヨーロッパを結ぶ交易によって発展します。

東アジア

中国の明はモンゴルや倭寇の侵入に苦しめられます。1550年にはモンゴルのアルタン=ハーンが北京を包囲し、1555年には倭寇が南京に迫ります。そして1557年にはポルトガルがマカオの居住権を獲得します。日本では戦国時代の中で1543年にポルトガル人が種子島に漂着して鉄砲が伝えられ、1549年にイエズス会の宣教師フランシスコ=ザビエルからキリスト教が伝えられます。1573年には織田信長が室町幕府を滅ぼし、1590年にはその後を継いだ豊臣秀吉が日本を統一します。そして豊臣秀吉は1592年〜1598年に朝鮮出兵を行い、朝鮮を属国にしていた明とも戦って最終的に秀吉の死によって撤退します。しかし、これが原因で明の国力は低下し、満州では女真族が勢力を拡大します。日本では豊臣秀吉の死後、権力争いが激化し、1600年の関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康が勢力を伸ばします。

南アジア・東南アジア

1510年にポルトガルがゴアを獲得し、ヨーロッパ勢力のインド進出が始まる中、1526年にイスラーム国家のムガル帝国が建国されます。ムガル帝国は1556年に即位した第3代アクバルが北インドを統一し、ジズヤ(人頭税)を廃止してヒンドゥー教徒やシク教徒への融和政策を取ります。そして1600年にはイギリスが東インド会社を設立します。

東南アジアでもスペインとポルトガルの進出が始まり、スペインはフィリピンを獲得、ポルトガルはマラッカ、モルッカ諸島を獲得します。

16世紀はアジアの国内経済が充実しヨーロッパは新大陸との交易を発展させた時代

このように、16世紀はアジアの国内経済が充実しヨーロッパは新大陸との交易を発展させた時代でした。アジアでは国内経済が充実し、オスマン帝国・サファヴィー朝・ムガル帝国・明が繁栄していました。ヨーロッパではスペインとポルトガルが新大陸を征服して得た大量の銀を輸出してアジア交易に参入します。

これからも一緒に歴史を学んで未来をより良くしていきましょう!最後まで読んでいただきありがとうございました。

目次