【ゲットー】ユダヤ人居住区について解説!

ローマのユダヤ人ゲットー(出典:エクスペディア)

こんにちは!歴史ワールド管理人のふみこです。

今回は、ユダヤ人を強制的に隔離し、集団で居住させた地区「ゲットー」について解説します。

目次

中世ヨーロッパのゲットー

時代背景

古代ローマ帝国時代、ローマやアレクサンドリアなどの都市にはユダヤ人居住区が存在していました。中世前期のヨーロッパやイスラム圏にもユダヤ人居住区はありました。ただ、これらは強制されて作られたものではなく、ユダヤ人が自主的に集まって居住していたものです。

しかし、12世紀の十字軍の頃から、ヨーロッパではユダヤ人に対する迫害が発生します。最初にユダヤ人が強制的に隔離されたのは13世紀後半のドイツ(神聖ローマ帝国)です。ユダヤ人居住区の周囲が壁で囲われ、出入りも制限されます。その後、14世紀のペスト(黒死病)流行によってヨーロッパ中でユダヤ人強制隔離政策が取られるようになります。壁で囲われたユダヤ人居住区がヨーロッパ各地に造られます。

ゲットーの始まり

ローマのユダヤ人ゲットー(出典:エクスペディア)

初めてゲットーと呼ばれたのは1516年にヴェネツィアで建設されたヴェネツィア・ゲットーです。鋳造所(ジェットー)の近くに作られたことから、ゲットーと呼ばれるようになります。1555年には反ユダヤ主義者のローマ教皇パウルス4世がローマ・ゲットーを建設します。これを機に「ゲットー」の名称が定着します。その後、ヨーロッパの大半の国々で同様のゲットーが築かれることになります。

ゲットーでの暮らし

ゲットーは石壁に囲まれ、夜になると門が閉じられます。ユダヤ人はゲットーから出るときは「ユダヤ人バッジ」の着用を強制されていました。これは1215年のラテラノ公会議で定められたものですが、16世紀から強制されるようになります。このバッジを付けずにゲットーを出る者には重い罪が課せられ、時にはゲットー内でも着用が強制されます。ゲットーの内部では、ユダヤ人はある程度の自治を認められていましたが、人口増加に伴う居住地の立体化、高密度化により衛生状態が次第に悪化し、スラム化するゲットーもありました。

ゲットーからの解放

18世紀末から、フランス革命を引き継いでヨーロッパの大半を征服したナポレオンが、各地のゲットーを解放します。ゲットーは廃止され、ユダヤ人はゲットーから解放されて自由に居住することができるようになります。しかし、ナポレオン失脚後は反ユダヤ主義の高まりによりユダヤ人への差別は再び強まります。

ナチスドイツが復活させたゲットー

ナチス占領下の主なゲットー(出典:ホロコースト百科事典)

19世紀後半に「反ユダヤ主義」というユダヤ人を人種的に差別し、排除を主張する思想が現れます。この思想をもとにユダヤ人排斥政策を掲げるヒトラー率いるナチスが1933年にドイツで政権を握ります。ヨーロッパ各地に侵略戦争を行って占領地を拡大する中で、ナチスはドイツ国内で行っていたユダヤ人排斥政策をヨーロッパ全体に拡大させて行きます。そこでナチスは、ユダヤ人コミュニティをユダヤ人以外の住民から隔離し、さらにユダヤ人コミュニティ同士を分離するため、「ゲットー」を復活させて壁で囲まれた地域にユダヤ人を押し込めることにします。ドイツがポーランド西半分を占領した直後の1939年10月、最初のゲットーがポーランドに建設されます。主に東欧に建設され、西欧在住のユダヤ人も東欧のゲットーに移送されました。ゲットーの中でも最大規模だったのはポーランドのワルシャワ・ゲットーです。ここには40万人以上のユダヤ人が約3.4㎢の地域に押し込められていました。

ナチスは、ユダヤ人完全排除という目的を達成するための方法を検討していました。ゲットー建設は、その方法が決まるまでの間に、ユダヤ人を管理・隔離するための暫定的な方法でした。ゲットーが続いたのは短期間で、数日から数ヶ月のものが多かったです。1942年1月20日、「ユダヤ人問題の最終的解決」において、ヨーロッパにいる全ユダヤ人の殺害が決定されると、ゲットーは解体されていきます。ドイツ軍は、ゲットーの住民を強制収容所や絶滅収容所に移送します。労働可能な者は強制収容所に送られて劣悪な環境で強制労働させられ、労働不能な者は絶滅収容所に送られてガス室で殺害されます。

ワルシャワゲットー蜂起で逮捕されたユダヤ人を尋問するドイツ兵(出典:ホロコースト百科事典)

ナチスは、ゲットーに住むユダヤ人に対してユダヤ人であることを示すバッジや腕章を常に身につけることを命じ、さらにユダヤ人たちに強制労働をさせます。ゲットーは、ナチスが任命したユダヤ人評議会によって管理されます。ユダヤ人評議会やユダヤ人警察は、ユダヤ人でありながらナチスの命令でゲットーを管理する立場でした。そのため、ユダヤ人内部でも対立が生じます。

ユダヤ人はゲットーに課せられた制限に抵抗します。ユダヤ人評議会やユダヤ人警察に知られることなく密かに外部から食料や武器などを持ち込んだり、ユダヤ人評議会やユダヤ人警察も表向きはナチスに従いつつ、そうした持ち込みを容認したり支援することもありました。ナチスはユダヤ人の宗教活動は禁止しませんでしたが、学校教育や青年活動、集会などは脅威とみなし、禁止していました。

一部のゲットーではユダヤ人レジスタンスが武装蜂起を起こしますが、全てナチスとドイツ軍によって鎮圧されます。この中で最大のものは、1943年春に起きたワルシャワ・ゲットー蜂起でした。1944年8月、ナチスとドイツ軍は最後のゲットーを解体し、ゲットーは消滅します。

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