【地域解説:中央アジア】草原の道とオアシスの道!シルクロード地域について解説!

こんにちは!歴史ワールド管理人のふみこです!

今回は、世界史の地域区分の1つ、「中央アジア」について解説します。アジアの中央に位置する地域です。

紀元前1000年頃から騎馬遊牧民の世界を形成し、周辺の農耕民族の支配地域にたびたび侵入を繰り返します。紀元前2世紀からはシルクロードの要衝として繁栄します。西暦900年頃からイスラーム化が進み、13世紀のモンゴル帝国で騎馬遊牧民の最盛期となりますが、16世紀頃から衰退し、18世紀には騎馬遊牧民国家は消滅します。その後の中央アジアはロシア帝国やソ連の支配下となり、現在では多数の独立国家を形成しています。

では、中央アジアはどこからどこまでで、どういう地形で、どんな気候で、どんな宗教を信じる人が多く、どんな人種や言語で構成されているのでしょうか。そして、どんな歴史を辿ってきたのでしょうか。

この記事では、「中央アジア」の範囲、地理、気候、宗教、人種、言語、歴史について徹底的に解説します。

目次

中央アジアの範囲

上の図の紫色の範囲が「中央アジア」です。アフガニスタンは南アジアに含めることもありますが、歴史的に中央アジア諸国と関係が深いため、世界史ではアフガニスタンは中央アジアに含めて考えます。

中央アジアの地理

中央アジアは砂漠と草原がほとんどです。北部は草原、南部は砂漠です。砂漠にはオアシス都市が点在し、西アジア(中東・オリエント)と中国を結ぶオアシスの道(シルクロード)としてユーラシア東西交易の要衝でした。草原地帯は草原の道として、ヨーロッパと東アジアを結ぶ交易路でした。ほかに、インド洋と南シナ海を通して西アジアと中国を結ぶ海の道もありました。狭義のシルクロードはこのうちオアシスの道のみを指しますが、3つの道を総称してシルクロードと呼ぶこともあります。

中央アジアの気候

中央アジアの大部分は乾燥帯に属しています。南部のオアシスの道やアフガニスタンの大部分は砂漠気候(BWh、BWk)で、北部の草原の道がステップ気候(BSk)です。さらに北のシベリアに近い地域は亜寒帯湿潤気候(Dfa、Dfb)に属し、東部のパミール高原の一部は高地地中海性気候(Dsa)に属します。

中央アジアの宗教

中央アジアはイスラム教徒が多い地域です。ほとんどがスンナ派です。カザフスタン北部のロシアに近い一部地域にはキリスト教正教徒が多い場所もあります。

中央アジアの人種・言語

「人種」とは、遺伝的・身体的特徴をもとにした人類の集団です。中央アジアはアフガニスタンを除くほぼ全域がコーカソイド(白人)とモンゴロイド(黄色人種)の混血が多い地域となっています。アフガニスタンはコーカソイド(白人)が多い地域です。「語族」とは、同じ語源から分化したと想定される言語群です。「語派」とは、語族をさらに細分化したものです。中央アジアの大部分はアルタイ諸語で、カザフスタン北部の一部地域はインド=ヨーロッパ語族スラヴ語派のロシア語です。タジキスタン西部、アフガニスタン全域はインド=イラン語派です。似たような概念に「民族」があります。民族とは、文化的特徴を共有する人間集団です。カザフスタン人、アフガニスタン人などです。

中央アジアの歴史

古代

紀元前2000年頃から、もともと中央アジアを現住地としていたインド=ヨーロッパ語族諸族はユーラシア大陸各地に離散していきます。

紀元前1000年頃から騎馬遊牧民の世界を形成し、周辺の農耕民族の支配地域にたびたび侵入を繰り返します。紀元前2世紀からはシルクロードの要衝としてオアシス都市が繁栄します。紀元前2世紀頃には大月氏やバクトリアが栄え、1〜2世紀には西北インドのクシャーナ朝が東西交易路を抑えます。

5世紀には遊牧民のエフタルが勢力を拡大し、一時的にササン朝ペルシアやインドのグプタ朝を圧迫します。エフタルはシルクロードの交易路を抑えて発展しますが、モンゴルの突厥とササン朝ペルシアに挟撃されて560年頃に滅びます。

中世

7世紀以降、中央アジアはイスラーム化していきます。11世紀前半に中央アジアでトルコ人がセルジューク朝を建て、セルジューク朝はイラン・メソポタミア・シリア・パレスチナを征服してバグダードに入城、アッバース朝カリフからスルタン(支配者)の称号を授けられます。エジプトのファーティマ朝と対立し、イスラームの最大勢力となったセルジューク朝は、さらにビザンツ帝国とも戦って1071年にマンジケルトの戦いでビザンツ帝国を破り、アナトリアの大部分を征服します。12世紀にはセルジューク朝は分裂し、中央アジアは群雄割拠となります。

13世紀は「モンゴルの世紀」とも言われます。チンギス=ハンが建てたモンゴル帝国がユーラシア大陸の大部分を征服し、「草原の道」「オアシスの道」の陸上交易路を支配します。さらに大運河を整備して「海の道」の海上交易路とも結びつき、ユーラシア規模の円環交易ネットワークを成立させます。

14世紀半ばにチャガタイ=ハン国が東西に分裂し、1370年に西チャガタイ=ハン国の中からティムールが独立して西チャガタイ=ハン国とイル=ハン国を滅ぼし、中央アジアから西アジアに及ぶイスラームの大帝国を築き上げます。しかし1405年のティムール死後、分裂し弱体化します。

近世

ティムール帝国の分裂後、モンゴル系のカザフ・ハン国、ヒヴァ・ハン国、ブハラ・ハン国が分立します。

近代

19世紀後半、ロシア帝国は中央アジアへの侵略を強め、アフガニスタンを除く中央アジア全域に侵攻して支配下に入れます。インドを植民地化したイギリスも北上し、アフガニスタンを植民地化します。

現代

アフガニスタンは第一次世界大戦後の1919年にイギリスから独立します。1922年に成立したソ連はロシア帝国から中央アジアの支配を受け継ぎます。

1991年にソ連が解体すると、中央アジア諸国は独立します。21世紀現在も、多数の独立国家を形成しています。

目次