こんにちは!歴史ワールド管理人のふみこです!
今回は、世界史の地域区分の1つ、「西ヨーロッパ」について解説します。ユーラシア大陸西端に位置し、ヨーロッパの西半分を占める地域です。
世界史には主役となる地域が2つあります。「西ヨーロッパ」と「東アジア」です。「西ヨーロッパ」にはイギリス・フランス・ドイツといった現在の主要国があり、スペイン・ポルトガル・イタリアも含むため、古代からずっと世界史を動かしてきた地域といえます。「西欧」とも表記されます。「北欧」「南欧」も、広い意味では「西欧」に含まれます。
では、西ヨーロッパはどこからどこまでで、どういう地形で、どんな気候で、どんな宗教を信じる人が多く、どんな人種や言語で構成されているのでしょうか。そして、どんな歴史を辿ってきたのでしょうか。
この記事では、「西ヨーロッパ」の範囲、地理、気候、宗教、人種、言語、歴史について徹底的に解説します。

西ヨーロッパの範囲

上の図の紫色の範囲が「西ヨーロッパ」です。一般的に「西欧諸国」と呼ばれるイギリス・フランス・ドイツに加え、「北欧諸国」と呼ばれるノルウェー・スウェーデンや「南欧諸国」と呼ばれるスペイン・ポルトガル・イタリア・ギリシャまで含まれます。ドイツ・オーストリアは「中欧」に区分されることもありますが、ヨーロッパを「西欧」「東欧」の2つに区分するときは「西欧」に含みます。
西ヨーロッパの地理

西ヨーロッパは平地と森林が多く、山地や高所は少なめです。フランスやドイツなどの大陸部にはライン川やセーヌ川などの川しか隔てるものがなく、異民族や他国に侵入されやすい土地です。イギリスはドーバー海峡で大陸と隔てられていますが、海峡の距離はわずか40km程度しかありません。しかし、その海峡に守られ、大陸から攻められて征服されたことは1066年のノルマンコンクェスト以降は1度もありません。スペインとポルトガルのあるイベリア半島は標高3000m級のピレネー山脈によって隔てられています。アフリカとの間にはジブラルタル海峡があります。距離はわずか14kmしかありませんが、地中海の入り口となる要所です。イタリア半島はアルプス山脈によって隔てられています。アルプス山脈には標高4000mを超える山もあり、ヨーロッパ最大の山脈となっています。

西ヨーロッパの主要部であるイギリス・フランス・ドイツ西部は、大部分が西岸海洋性気候(Cfb)に属しています。イベリア半島・イタリア・ギリシャなどの地中海沿岸は地中海性気候(Csa・Csb)に属し、ノルウェー・スウェーデンなどの北欧諸国とドイツ東部、オーストリアは冷帯(亜寒帯)湿潤気候(Dfb・Dfc)に属します。アルプス山脈・ピレネー山脈の一部はツンドラ気候(ET)に属します。
西ヨーロッパの宗教

ヨーロッパはキリスト教徒がほとんどの地域ですが、その中で西ヨーロッパはカトリックとプロテスタントが多い地域となっています。イギリス・ドイツ・北欧諸国など西ヨーロッパの中でも北側にプロテスタントが多く、フランス・スペイン・イタリアなど西ヨーロッパの中でも南側にカトリックが多く分布しています。
西ヨーロッパの人種・言語

「人種」とは、遺伝的・身体的特徴をもとにした人類の集団です。西ヨーロッパは全域がコーカソイド(白人)が多い地域となっています。「語族」とは、同じ語源から分化したと想定される言語群です。西ヨーロッパはほとんどがインド=ヨーロッパ語族であり、フィンランドの一部にウラル語族がいます。上の図の「語派」とは、語族をさらに細分化したものです。インド=ヨーロッパ語族は、ゲルマン語派・ラテン語派・スラヴ語派・ケルト語派・ギリシア語派などに細分化されます。西ヨーロッパはほとんどがゲルマン語派とラテン語派です。英語・ドイツ語・オランダ語などはゲルマン語派で、フランス語・イタリア語・スペイン語などはラテン語派です。アイルランド語はケルト語派、ギリシア語はギリシア語派です。似たような概念に「民族」があります。民族とは、文化的特徴を共有する人間集団です。イギリス人、ドイツ人、フランス人などです。
西ヨーロッパの歴史
古代
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歴史時代の始まった紀元前3500年頃から、世界の各地域では、気候や地理などの自然環境に適応しながら人々が農耕・牧畜と定住生活を始め、メソポタミア・エジプト・インダス・中国の四大文明をはじめとする古代文明を作っていきます。紀元前2000年頃からインド=ヨーロッパ語族諸族はユーラシア大陸各地に離散していきますが、西ヨーロッパに入ったのはケルト人、ゲルマン人、ラテン人でした。
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世界の各地域に成立した古代文明は、変容しながら発展し、やがて規模を拡大していきます。発展し規模を拡大した古代文明の中から、やがてユーラシア大陸の東西に巨大帝国が生まれ、古代の黄金期を迎えます。西の帝国はローマです。イタリア半島の都市国家として紀元前500年頃から独立したラテン人の国ローマは、強大な軍事力によって紀元前30年頃に地中海世界を政治的に統一し、「ローマの平和(パクス=ロマーナ)」と呼ばれる繁栄をもたらします。ローマはギリシアを受け継いだ市民政治による共和政でしたが、地中海世界を統一したオクタウィアヌスが元老院から権力を与えられる形で、帝政が始まります。ローマ時代には優れた文化や建築物が多数生まれ、テルマエ=ロマエに描かれる浴場などの娯楽施設も生まれるなど、現代から見ても驚くような発展を遂げます。
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古代末期になると、ユーラシア大陸東西の巨大帝国の衰退によって、小国分立状態となります。
ローマ帝国はゲルマン人やパルティアとの戦争や財政悪化などによって3世紀頃から衰え始め、395年には東西に分裂します。ゲルマン民族の侵入にさらされた西ローマ帝国の衰退は著しく、476年にゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによって皇帝が退位させられ、西ローマ帝国は滅亡します。東ローマ帝国は引き続き東地中海を支配しますが、西ヨーロッパはゲルマン諸国の小国分立状態となります。
中世
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キリスト教が普遍的に広がっていたヨーロッパでは、ゲルマン人諸国家の中から6世紀頃頭角を表したフランク王国がローマ・カトリック教会の保護者となります。宗教的トップのローマ教皇と世俗的トップのローマ皇帝(フランク国王)による二元的な封建制度による支配が確立し、中世の西ヨーロッパ世界が成立します。
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西ヨーロッパではフランク王国が9世紀に分裂するとヴァイキングやマジャール人など外敵の侵入に悩まされますが、10世紀に東フランク王国オットー1世がローマ教皇からローマ皇帝の帝位を授けられ、ドイツからチェコ・オーストリア・スイス・北イタリアといった広大な地域を支配する神聖ローマ帝国を築きます。再び世俗権力の保護者を得たローマ教皇の権力は高まり、ローマ・カトリック教会の全盛期となって、封建制・荘園制を基盤とした中世ヨーロッパの支配体制が確立します。
東ヨーロッパのビザンツ帝国は徐々にイスラーム勢力に圧迫され、勢力を縮小させていきます。ビザンツ帝国でも11世紀頃から封建制に移行しますが、11世紀後半にアナトリア(現在のトルコ)をイスラーム勢力に奪われたことでビザンツ帝国はローマ教皇に救援要請をかけ、それをきっかけに東方教会に対して優位に立とうと考えたローマ教皇によって十字軍が結成され、13世紀まで7回にわたってイスラーム勢力が支配するエルサレムとその周辺地方への侵攻を始めますが、一時的にエルサレムを奪還するものの最終的には失敗してしまいます。十字軍は失敗に終わりますが、これをきっかけに西ヨーロッパ世界とイスラーム世界の交易が活性化し、都市の発展と商業の活性化、貨幣経済の浸透が進みます。
近世
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西ヨーロッパでは、15世紀後半になると、レコンキスタを完了させてイベリア半島からイスラーム勢力を追い出したスペインとポルトガルが、イスラーム世界を介さないアジアとの直接交易とキリスト教布教を目指し、海路で対外進出を始めます。大航海時代の始まりです。
イングランド・フランスは百年戦争の途中から国王の権力が高まって中央集権国家・主権国家体制へと移行し、百年戦争の終結後にその体制が確立します。
また、宗教改革によってキリスト教世界はカトリックとプロテスタントの2つに分かれて争い始め、ルネサンスという神中心の世界観から人間中心の世界観への変化といった流れも引き起こされ、キリスト教の権威は大きく揺らぎます。
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17世紀は気候が寒冷化し、世界各地で飢饉や疫病、戦争が勃発して、経済は衰えます。
ヨーロッパでは中継貿易で富を築いたオランダが覇権を握り、世界各地の交易を支配します。ドイツ(神聖ローマ帝国)は三十年戦争で国土が荒廃して小国分立状態となり、その中からプロイセンとオーストリアが台頭します。イギリスでは革命が起こって絶対王政から立憲君主制へと移行します。フランスは絶対王政の全盛期を迎えます。
北欧ではスウェーデンが台頭してバルト帝国を築きますが、これを破ったロシア帝国が東ヨーロッパの覇権を確立させ、シベリア方面の進出もさらに強化してオホーツク海まで到達します。
18世紀後半の西ヨーロッパでは産業革命や市民革命が起こり、絶対王政が終わって資本主義が生まれ始めます。
イギリスでは産業革命が起こり、生産力を爆発的に発展させて各地の交易を支配し、世界の覇権を握ります。フランスでは国王の圧政への不満からフランス革命が起こり、その中からナポレオンが台頭してフランスをまとめます。
中央・東ヨーロッパのロシア・プロイセン・オーストリアでは啓蒙専制君主による上からの改革により、限定的に自由が生まれます。
近代
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19世紀前半のヨーロッパでは、フランス革命とナポレオン戦争によって自由と平等を求める動きが一旦高まりますが、ウィーン体制によって再び絶対王政が復活します。しかし、自由と平等を求める市民の動きを抑えることはできず、1848年の各地の革命によってウィーン体制が崩壊し、その後は市民優位の自由主義・資本主義・民主主義の時代となります。
西ヨーロッパでは、1830年頃までは絶対王政が機能しますが、1830〜1848年までの各地の革命によって各国は立憲君主制や共和制に移行し、民主主義の時代となります。
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19世紀後半に入って市民優位の資本主義・民主主義の社会が確立すると、欧米諸国は資源と市場を求めてさらに植民地を拡大させ、帝国主義の時代に入ります。
ヨーロッパでは、イギリスとフランスは互いに競い合いながら植民地を拡大させ、広大な植民地帝国を築きます。国内統一が遅れたドイツとイタリアも少し遅れて帝国主義に参加し、植民地を拡大します。
ヨーロッパ諸国の強大な生産力と軍事力の前にアジア・アフリカ諸国はなすすべなく、ほとんどがヨーロッパ諸国の植民地または勢力圏となり、支配下に入りました。
特にイギリスの植民地帝国は広大で、ヨーロッパ諸国の中でも抜きん出ていました。この時期はイギリスの覇権によるパクス・ブリタニカの時代となります。
20世紀初頭になると列強による世界分割もほぼ完了します。1890年のビスマルク失脚以降、ヨーロッパ諸国同士の対立は激化し、イギリス・フランス・ロシアの三国協商とドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟の二大勢力の対立が深まります。
オスマン帝国の衰退によってバルカン半島に諸国が独立しますが、この地域に勢力を伸ばしたいオーストリアとロシアの利害関係の対立などによって三国協商と三国同盟の対立はさらに深まり、ロシアが支援するセルビア人の青年がオーストリア皇太子夫妻を暗殺したことが決定打となり、三国同盟と三国協商の全面戦争となる第一次世界大戦が勃発します。
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第一次世界大戦は協商国側の勝利に終わりますが、ヨーロッパが主戦場となったことで各国の戦争によるダメージは甚大で、戦勝国も含めてヨーロッパ諸国の国力は低下します。中でもロシアは深刻で、内戦状態となります。
協商国側で参戦しつつも戦場とならなかったアメリカ合衆国と日本は武器の輸出などで好景気となり、国力を増加させます。特にアメリカ合衆国はイギリスを抜いて世界一の大国となり、覇権国家はイギリスからアメリカに移行しました。
現代
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1939年に勃発した第二次世界大戦は1945年に連合国の勝利で終わりますが、戦場となった西ヨーロッパ諸国の国力は大きく低下してしまいます。世界はアメリカを中心とする資本主義の西側陣営とソ連を中心とする共産主義の東側陣営に分かれます。西ヨーロッパ諸国はほとんどが西側陣営に入ります。
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欧米諸国の植民地となっていたアジア・アフリカ諸国では第一次世界大戦後から独立運動が盛んになっていましたが、第二次世界大戦後さらに激化し、インドや東南アジアなどのアジア諸国は1945年の第二次世界大戦終結以降、すぐに多くの国が独立します。アフリカ諸国も少し遅れて1960年頃から一気に独立します。
ヨーロッパの統合

2度の世界大戦と植民地独立により国際的地位が大きく低下した西ヨーロッパ諸国では、過去の対立を乗り越え、統合を進める動きが出てきます。当初はアメリカ主導の動きでしたが、やがてヨーロッパの自主的な統合の動きが出てきます。中心になったのは、ずっと対立してきたフランスとドイツ(西ドイツ)です。フランス・西ドイツ・イタリア・ベネルクス三国の6ヶ国は、1950年にヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)、1958年にヨーロッパ経済共同体(EEC)とヨーロッパ原子力共同体(EURATOM)を発足させます。1967年には、この3つを統合してヨーロッパ共同体(EC)が結成されます。1973年にはイギリス・アイルランド・デンマークが加盟、1981年にはギリシャ、1986年にはスペイン・ポルトガルが加盟します。冷戦が終結して1990年に東西ドイツが再統一すると、統一ドイツも加盟国となります。1992年には、EC加盟国によって市場統合・通貨統合とともに安全保障についても共通政策を目指すマーストリヒト条約が結ばれます。この条約をもとに、1993年にヨーロッパ連合(EU)が発足します。1999年には統一通貨ユーロが導入され、経済面での統合が一段と進みます。
冷戦が終結して東ヨーロッパ諸国が民主化すると、それらの国々も次々とEUに加盟します。しかし、EU加盟国の中でも2位3位の国力を持つイギリスは、共通通貨ユーロも導入せずEUに対して一定の距離を保っていました。しかし、EUに加盟していることで発生する主権の制限や移民の増加に対して、イギリス国内では不満が高まります。そしてEU離脱案が2016年の国民投票で過半数の支持を得て承認され、2020年に正式にイギリスはEUを離脱します。
2025年現在、EU最大の経済大国であり、実質的にリーダーとなっているのはドイツです。EU内でのドイツの経済力は圧倒的で、政治的にも外交的にも影響力が増しています。2位の経済力を持つフランスはドイツとの蜜月関係が続いていて、「独仏枢軸」とも言われます。両国は1992年に「欧州合同軍」を設立しており、安全保障面・軍事面でのヨーロッパ統合を進めています。