【時代解説:1960〜1970年】東西陣営の緊張が再び高まり核戦争の危機となった頃の世界史を解説!

こんにちは!歴史ワールド管理人のふみこです!

今回は、1960〜1970年の、東西陣営の緊張が再び高まり核戦争の危機となった頃の世界史を解説します。

キューバで社会主義革命が起こると、接近したソ連は核ミサイルを配備し、アメリカ本土を射程内に入れます。核戦争の危機となりますが、最終的にはお互いに譲歩して危機は去ります。アジアではベトナム戦争が始まり、東西陣営の対立は再び激化します。

この記事では、そんな1960〜1970年はどんな世界だったのか、分かりやすく解説します。

目次

1960〜1970年はどんな世界だったのか

アメリカ・ソ連

カリブ海の国キューバで1959年キューバ革命が起こり、親米独裁政権が倒れて社会主義政権が誕生します。アメリカは革命政府を倒そうとしますが失敗し、キューバはソ連に接近していきます。1962年にはソ連と武器援助協定を結び、ソ連の核ミサイルがキューバに配備されます。キューバに建設されたミサイル基地からはワシントン・ニューヨークも射程圏内であり、アメリカにとって非常に脅威となります。首都ワシントンと最大の都市ニューヨークに向けていつ核ミサイルが発射されるか分かりません。アメリカは海上封鎖し、米ソはあわや衝突寸前となります。しかし、両国首脳の直接交渉によって、「アメリカがキューバ侵攻をしないと約束するならソ連はミサイルを撤去する」というフルシチョフの提案をケネディ大統領が受け入れたことで、衝突は回避されます。人類滅亡の危機でした。ギリギリセーフですね。このキューバ危機の後、米ソは再び緊張緩和するかに思われましたが、1965年にはベトナム戦争が始まり、再び対立は激化していきます。

アメリカでは、1963年にキューバ危機を回避したケネディ大統領が暗殺されます。この頃、黒人解放運動やベトナム反戦運動などがアメリカ国内で盛んになります。ソ連でもキューバ危機を回避したフルシチョフが1963年に解任されます。フルシチョフの次に書記長となったブレジネフは、東側陣営内の締め付けに厳しく、1968年にチェコスロヴァキアで起こった民主化を求めるチェコ事件では、ワルシャワ条約機構軍が軍事介入して鎮圧します。

共産主義陣営では、中ソ対立が激化します。中国の毛沢東は1962年のキューバ危機でアメリカに譲歩したフルシチョフを非難し、1969年には珍宝島事件などの中ソ国境紛争にまで発展します。

ヨーロッパ

フランスのド=ゴール大統領は、アメリカに従わない独自の外交を展開します。アメリカのベトナム戦争介入を批判し、1966年にはNATO脱退するなど、自由主義陣営のリーダーであるアメリカに敵対的な外交をします。ド=ゴールは、「フランスの栄光」を掲げ、経済成長も実現させたため、大きな支持を得ます。

ヨーロッパの地域統合の動きは加速し、1967年にはEC(ヨーロッパ共同体)が発足します。加盟国はフランス・西ドイツ・イタリア・ベネルクス3国です。ECはECSC・EEC・EURATOMの3つが合体したもので、ヨーロッパ東欧の動きはさらに加速します。

東アジア

中国は、中ソ対立や中印国境紛争などで周辺諸国との対立を深める中、大躍進政策の失敗により国家主席を降りていた毛沢東が復権を狙い、1966年からプロレタリア文化大革命を起こします。激しい政治闘争によって膨大な死者が出て、中国の国力は衰えます。

日本は高度経済成長期を迎えます。1964年には東京オリンピックが開催され、1968年には小笠原諸島が日本に復帰します。

南アジア・東南アジア

分離独立したインドとパキスタンの対立は収まらず、1965年には第2次印パ戦争が起こります。パキスタンはインダス川流域の西パキスタンと、ガンジス川下流の東パキスタンの、東西に国土が離れていました。やがて、東パキスタンで分離独立運動が起こります。

東南アジアでは、1965年にシンガポールがマレーシアから分離独立します。南北に分断されたベトナムでは、東南アジアの共産化を恐れたアメリカが本格的に介入し、1965年にベトナム戦争が起こります。アメリカは北爆を行った上に地上軍も投入し、全面戦争に突入します。しかし、アメリカは国際社会の非難を浴び、国内でも反戦運動が盛り上がります。

西アジア・アフリカ

イスラエルとアラブ諸国の対立は続き、1967年には第3次中東戦争が勃発します。イスラエルがエジプト・シリア・ヨルダンに奇襲攻撃を仕掛け、わずか6日間でイスラエルの圧勝に終わります。イスラエルはエルサレムを完全に支配し、さらにシナイ半島・ガザ地区・ゴラン高原を占領、イスラエルの領土は大きく拡大し軍事大国化します。

アフリカでは1962年にフランス領だったアルジェリアが独立します。

1960〜1970年は東西陣営の緊張が再び高まり核戦争の危機となった時代

このように、1960〜1970年は東西陣営の緊張が再び高まり核戦争の危機となった時代でした。キューバで社会主義革命が起こると、接近したソ連は核ミサイルを配備し、アメリカ本土を射程内に入れます。核戦争の危機となりますが、最終的にはお互いに譲歩して危機は去ります。アジアではベトナム戦争が始まり、東西陣営の対立は再び激化します。

これからも一緒に歴史を学んで未来をより良くしていきましょう!最後まで読んでいただきありがとうございました。

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