【時代解説:1930〜1935年】世界恐慌による不況からファシズムが台頭した頃の世界史を解説!

こんにちは!歴史ワールド管理人のふみこです!

今回は、1930〜1935年の、世界恐慌による不況からファシズムが台頭した頃の世界史を解説します。

1929年にアメリカから始まった世界恐慌は瞬く間にソ連を除く世界中に広がり、世界中が深刻な不況となってしまいます。広大な国土を持つアメリカ、植民地を多く持つイギリス・フランスは資源と市場が豊富なためブロック経済を構築して不況に対処しますが、ドイツ・イタリア・日本など植民地が少ない国は資源と市場を求め、対外進出を始めます。これらの国ではナショナリズムが強調され、国の利益が優先されて個人の人権や自由が制限される、ファシズムが台頭していきます。

この記事では、そんな1930〜1935年はどんな世界だったのか、分かりやすく解説します。

目次

1930〜1935年はどんな世界だったのか

ヨーロッパ

世界恐慌の発生に対して、各国は対処を迫られます。イギリス・フランスは広大な植民地を持っていたため資源と市場が豊富でした。そこで、イギリス・フランスは本国と植民地でブロック経済を構築し、自国と植民地の間での貿易を強化して他国との貿易には高い関税をかけて締め出すことで、経済を安定させようとします。しかし、ドイツ・イタリアなど植民地が少ない国は資源と市場が少なく、自国と植民地の間だけでは十分な経済圏を作ることができませんでした。

中でもドイツは植民地を全く持たず、さらにヴェルサイユ条約の賠償金が重くのしかかり、深刻な経済不況となって1933年には失業者が600万人にまで増えます。そんな中、ヴェルサイユ体制の打倒と軍事力による世界再分割を掲げるナチスが国民に支持され、1933年にナチスが政権を握り、ヒトラーの独裁体制が確立します。同年ドイツは国際連盟を脱退し、1935年にはヴェルサイユ条約破棄と再軍備を宣言します。

植民地が少ないイタリアも対外進出を求め、既に1922年から政権を握っていたファシスト党のムッソリーニは、1935年に東アフリカのエチオピアに侵攻します。

アメリカ

世界恐慌の発端となったアメリカでは、1933年に就任したフランクリン=ローズヴェルト大統領によるニューディール政策が行われます。今までは政府は経済に不介入でしたが、資本主義の枠内で政府が経済をコントロールするようになり、大規模な公共事業によって雇用を創出したり、社会保障を充実させたりします。しかし、すぐには景気は回復しませんでした。

東アジア

日本も植民地が少なく、世界恐慌の影響を受けて不況になったため、植民地を増やすための対外進出を行います。そのため、軍部の発言力が増していき、関東軍が1931年に満州事変を起こし、1932年に日本の傀儡国家の満州国が建国されます。しかし国際連盟は満州国を認めなかったため、日本は国際連盟を脱退します。さらに同年、日本国内で首相の犬養毅が軍部に暗殺される五・一五事件が起こり、軍部の発言力はさらに強まります。 そして1934年、ワシントン海軍軍縮条約を破棄し、軍備拡大を進めます。

中国は満州事変そっちのけで国民党と共産党の内戦に明け暮れており、蒋介石は共産党への攻撃を強化し、共産党は逃れるために1934年から長征を開始します。

ソ連

ソ連は社会主義国だったために世界恐慌の影響を免れました。指導者のスターリンは五カ年計画による計画経済を進め、経済力を向上させ、1934年にスターリンの独裁体制が確立します。同年国際連盟に加盟し、国際社会の仲間入りを果たします。

1930〜1935年は世界恐慌による不況からファシズムが台頭した時代

このように、1930〜1935年は世界恐慌による不況からファシズムが台頭した時代でした。1929年にアメリカから始まった世界恐慌は瞬く間にソ連を除く世界中に広がり、世界中が深刻な不況となってしまいます。広大な国土を持つアメリカ、植民地を多く持つイギリス・フランスは資源と市場が豊富なためブロック経済を構築して不況に対処しますが、ドイツ・イタリア・日本など植民地が少ない国は資源と市場を求め、対外進出を始めます。これらの国ではナショナリズムが強調され、国の利益が優先されて個人の人権や自由が制限される、ファシズムが台頭していきます。

これからも一緒に歴史を学んで未来をより良くしていきましょう!最後まで読んでいただきありがとうございました。

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