【時代解説:18世紀後半(1751〜1800年)】イギリスで産業革命が起こり欧州諸国のアジア植民地化が始まった頃の世界史を解説!

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今回は、18世紀後半の、イギリスで産業革命が起こり欧州諸国のアジア植民地化が始まった頃の世界史を解説します。

北米やインドに広大な植民地を得たイギリスでは大西洋三角貿易によって富が蓄積され、産業革命が起こって工業化します。そしてさらに植民地を拡大して利益を増やすため、イギリスやオランダがアジアを植民地化し始めます。しかし、北米では重税などの不満によって植民地が独立してアメリカ合衆国が誕生します。

この記事では、そんな18世紀後半はどんな世界だったのか、分かりやすく解説します。

目次

18世紀後半はどんな世界だったのか

西ヨーロッパ

フランスとの覇権争いを優位に進めていたイギリスは、1756〜1763年の七年戦争(ヨーロッパが舞台)、それに連動した1755〜1763年のフレンチ・インディアン戦争(北米が舞台)、1757年のプラッシーの戦い(インドが舞台)の全てで勝利し、イギリスはフランスとスペインから北米・インドの広大な植民地を獲得します。こうして世界の覇権を確立したイギリスは広大な植民地をもとに大西洋三角貿易で富を蓄積したため、産業革命が起こって工業化します。しかし植民地への重税によって不満が高まり、北米では1775年にアメリカ独立戦争が起こり、1783年のパリ条約でアメリカ合衆国の独立を承認、北米植民地の多くを失います。

イギリスとの覇権争いに敗れたフランスでは国王・貴族への不満から1789年にフランス革命が勃発し、国王ルイ16世は処刑されます。その後のフランスは共和政となりますが、穏健派や急進派などさまざまな権力が入れ替わり、革命の波及を恐れた欧州諸国が対仏大同盟を結んでフランスとの戦争が起こるなど、混乱します。諸外国との戦争はフランス優位に進みますが、そんな中、対外戦争で頭角を表したナポレオン・ボナパルトが1799年に統領となり、権力を握ります。

東ヨーロッパ

東欧ではかつて大きな勢力を誇ったポーランドが、1772〜1795年にわたってロシア・プロイセン・オーストリアの3国によって分割され、消滅します。

ロシアは1762年に即位したエカチェリーナ2世が啓蒙専制君主としてロシアの強国化を進めます。1774年にはオスマン帝国と戦争して黒海北岸を獲得、さらに1792年にはクリミア半島を獲得します。1795年までにポーランドの東半分も獲得、中央アジアへの進出も進め、ロシア帝国は一気に勢力を拡大します。

プロイセンとオーストリアでも啓蒙専制君主による改革と強国化が進み、ポーランド分割によって両国とも領土を拡大します。

アメリカ

1763年のパリ条約によってミシシッピ川以東はイギリスの植民地となりますが、イギリスは北米植民地に重税を課しため、植民地側の不満が高まり、1775年にアメリカ独立戦争が起こります。諸外国も参戦してイギリスは孤立し、植民地側が勝利して1783年のパリ条約により、独立が承認されます。アメリカ合衆国の成立です。この時点でミシシッピ川以東が全てアメリカ合衆国領となり、イギリスの北米植民地はカナダとフロリダのみとなります。1789年にはワシントンが初代大統領に就任します。アメリカ合衆国はフランス革命に対しては中立宣言します。

西アジア・中央アジア

オスマン帝国は徐々に衰退し、1774年に黒海北岸をロシアに割譲します。アラビア半島では1744年にワッハーブ王国が誕生し、イランでは1796年にアフシャール朝が滅びてカージャール朝が建てられます。アフガニスタンも1747年にアフシャール朝から独立し、アフガニスタン王国が成立します。

東アジア

清では乾隆帝が対外進出を強め、1758年にジュンガル、1759年に回部を征服、新疆と名付けます。こうして清は中国・満州・沿海州・モンゴル・新疆・チベットにまたがる大帝国となります。しかし、1796年の白蓮教徒の乱の発生により、清の衰退が始まります。

日本は江戸時代の繁栄が続く中、1783年からの天明の飢饉によって農業生産量が減少し、経済が混乱します。これを立て直そうと1787年から老中松平定信が寛政の改革を行なって厳しい倹約と緊縮財政によって財政を立て直そうとしますが、反発が大きく1793年に解任されます。江戸幕府衰退の始まりです。

南アジア・東南アジア

インドでは1757年のプラッシーの戦いに勝利したイギリスがベンガル地方を植民地化し、さらに1767〜1799年のマイソール戦争でインド南部を獲得、1779年にはマラーター戦争を起こして中部インドにも攻め込みます。こうして、インドは徐々にイギリスに支配されていきます。

東南アジアでは1767年にビルマのコンバウン朝の侵入によってアユタヤ朝が滅亡します。その後、再びタイ人がビルマ人を撃退して 1782年にラタナコーシン朝を建て、タイ・ラオス・カンボジア・マレー半島北部にまたがる広大な領土を支配します。

インドネシアではオランダの進出が進み、ジャワ島を完全に植民地化し、スマトラ島・ボルネオ島・セレベス島にも進出します。

18世紀後半はイギリスで産業革命が起こり欧州諸国のアジア植民地化が始まった時代

このように、18世紀後半はイギリスで産業革命が起こり欧州諸国のアジア植民地化が始まった時代でした。北米やインドに広大な植民地を得たイギリスでは大西洋三角貿易によって富が蓄積され、産業革命が起こって工業化します。そしてさらに植民地を拡大して利益を増やすため、イギリスやオランダがアジアを植民地化し始めます。しかし、北米では重税などの不満によって植民地が独立してアメリカ合衆国が誕生します。

これからも一緒に歴史を学んで未来をより良くしていきましょう!最後まで読んでいただきありがとうございました。

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