【時代解説:15世紀(1401〜1500年)】海上交易が発展し大航海時代が始まった頃の世界史を解説!

こんにちは!歴史ワールド管理人のふみこです!

今回は、15世紀の、海上交易が発展し大航海時代が始まった頃の世界史を解説します。

「14世紀の危機」が去って各地域の経済が回復し、海上交易が発展します。明は南海遠征でアフリカ東岸まで到達し、琉球・マラッカは中継貿易で繁栄します。そしてスペイン・ポルトガルは新航路を開拓してアジアや新大陸に進出していきます。

この記事では、そんな15世紀はどんな世界だったのか、分かりやすく解説します。

目次

15世紀はどんな世界だったのか

西ヨーロッパ

西ヨーロッパでは教皇権が衰退して封建制・荘園制が崩壊し、国王の権力が高まって各国で中央集権的な主権国家体制が確立します。イングランドとフランスの百年戦争は、ジャンヌ・ダルクの活躍などによって1453年、フランスの勝利で終結します。一方の神聖ローマ帝国では宗教問題によって1419年から1436年にフス戦争が起きるなど、帝国内の分裂が進みます。イベリア半島ではカスティリャとアラゴンが合併してスペイン王国となり、1492年にナスル朝を滅ぼしてレコンキスタを完成させます。ポルトガルではいち早く15世紀前半からエンリケ航海王子がアフリカ西岸探検し、バルトロメウ=ディアスが1488年にアフリカ南端の喜望峰に到達、1498年にヴァスコ=ダ=ガマがインドに到達して東回りのインド航路を開拓します。一方のスペインは西回りの航路を目指し、1492年にコロンブスが大西洋を横断してカリブ海のサンサルバドル島に到達します。「新大陸アメリカ」への到達です。

東ヨーロッパ

リトアニアとポーランドは1386年から同君連合となってリトアニア=ポーランド王国が成立し、東欧で大きな勢力を持ちます。ビザンツ帝国は1453年に首都コンスタンティノープルがオスマン帝国によって陥落し、滅亡します。紀元前753年の古代ローマ建国から2000年以上続いたローマの終焉です。一方、キプチャク=ハン国の支配を受けていたモスクワ大公国は1480年に独立し、イヴァン3世はツァーリ(皇帝)を自称します。

西アジア・中央アジア

イスラーム勢力はイベリア半島を失った一方で、オスマン帝国がバルカン半島に勢力を広げます。1453年にはメフメト2世がコンスタンティノープルを攻略してイスタンブルと改称し、首都とします。1475年にはクリミア半島のクリム=ハン国も服属させ、オスマン帝国はバルカン半島・アナトリア・クリミア半島を支配する帝国となります。一方のティムール帝国は1405年のティムール死後、分裂し弱体化します。

東アジア

中国の明は第3代永楽帝のもとで全盛期を迎えます。1406年にはベトナムを征服、1410年にはモンゴルに遠征してモンゴル・オイラトを破ります。さらに1405年から1433年まで朝貢貿易の活性化を求めて鄭和の南海遠征を行い、東南アジア・インド洋を経てアフリカ東岸まで到達します。しかし、永楽帝の死後は対外的に消極的となったため、代わりに琉球やマラッカ王国が中継貿易で繁栄します。1449年には正統帝がオイラトの捕虜となり、南では後期倭寇に悩まされるなど、北虜南倭と呼ばれる衰退期に入ります。

日本は室町幕府の全盛期を迎え、1404年から将軍足利義満が勘合貿易を開始します。しかし、1467年からの応仁・文明の乱以降は室町幕府の求心力が低下し、戦国時代に入ります。

南アジア・東南アジア

インドは北部のデリー=スルタン朝、中部のバフマニー朝、南部のヴィジャヤナガル王国が分立しています。東南アジアではマラッカ王国がマラッカ海峡を支配して海上交易で発展し、1431年にはタイのアユタヤ朝がカンボジアのアンコール朝を滅ぼして勢力を伸ばします。

アメリカ

アメリカ大陸中部のメキシコではアステカ王国、ユカタン半島ではマヤ文明、南米ではインカ帝国が発展していました。

15世紀は海上交易が発展し大航海時代が始まった時代

このように、15世紀は海上交易が発展し大航海時代が始まった時代でした。「14世紀の危機」が去って各地域の経済が回復し、海上交易が発展します。明は南海遠征でアフリカ東岸まで到達し、琉球・マラッカは中継貿易で繁栄します。そしてスペイン・ポルトガルは新航路を開拓してアジアや新大陸に進出していきます。

これからも一緒に歴史を学んで未来をより良くしていきましょう!最後まで読んでいただきありがとうございました。

目次