【時代解説:1〜2世紀(1〜200年)】ユーラシア東西で巨大帝国が黄金期を迎えた頃の世界史を解説!

こんにちは!歴史ワールド管理人のふみこです!

今回は、1〜2世紀の、ユーラシア東西で巨大帝国が黄金期を迎えた頃の世界史を解説します。

西では地中海を統一したローマ帝国がヨーロッパなど周辺地域にさらに勢力を広げ、優れた文化や建築物を多数生み出すなど黄金期を迎え、東では後漢がタリム盆地などの西域まで勢力を広げ、東アジア地域に冊封関係を築いて古代中国の黄金期を迎えます。

この記事では、そんな1〜2世紀はどんな世界だったのか、分かりやすく解説します。

目次

1〜2世紀頃はどんな世界だったのか

ヨーロッパ・地中海地域

1〜2世紀、ローマ帝国の版図は最大となり、「ローマの平和(パクス=ロマーナ)」と呼ばれる空前の大繁栄を謳歌します。黄金期です。地中海だけでなく西ヨーロッパの大部分と中央・東ヨーロッパの一部、オリエントの西半分まで征服します。ローマ帝国では現在も実用的に使用される建築物も多数生まれ、テルマエ=ロマエに描かれる大浴場などの娯楽施設も生まれるなど、とても2000年前のものとは思えない、現代から見ても驚くような発展を遂げます。

パレスチナ地域に西暦30年頃に生まれたキリスト教は、初めローマ帝国に迫害されますが、やがて公認されてローマ帝国の国教となり、キリスト教はその後のヨーロッパ思想の源流となります。西暦0年はイエス・キリストの生まれた年とされています。

オリエントではパルティアがローマ帝国と激しく争います。この頃のローマ帝国の勢いは凄まじく、一時的にパルティアの首都クテシフォンを含むメソポタミアの大部分を占領します。

東アジア

200年近く続いた前漢の繁栄も西暦に入る頃には陰ります。貨幣経済の活発化により農民が没落して豪族が力を伸ばし、中央では宦官や外戚が皇帝の政治を左右するようになります。そしてついに外戚の王莽が西暦8年に帝位を奪い、前漢を滅ぼして「新」を建国します。しかしその新もすぐに反乱が多発して滅亡し、皇族の劉秀が25年に皇帝に即位(光武帝)、漢を復興させて「後漢」を建国します。

後漢は儒教を国教として各地の優れた人材を登用し、次第に国力を安定させて匈奴や西域諸国を従え、前漢時代の繁栄を取り戻します。

弥生時代の日本(倭)では、九州北部の奴国が後漢の光武帝に使者を送って金印を授けられます。

インド

インド西北部ではクシャーナ朝が2世紀のカニシカ王の時代に最盛期を迎え、中央アジアのシルクロードの要衝を抑えて陸上交易で繁栄します。南部デカン高原のサータヴァーハナ朝は、ローマや東南アジア、中国との海上交易で繁栄します。

その他の地域

東南アジアではチャンパー(林邑)や扶南が建国されます。

1〜2世紀はユーラシア東西で巨大帝国が黄金期を迎えた時代

このように、1〜2世紀は、ユーラシア東西で巨大帝国が黄金期を迎えた時代でした。西のローマ帝国と東の漢が巨大な勢力圏を築き、古代の最盛期となります。

これからも一緒に歴史を学んで未来をより良くしていきましょう!最後まで読んでいただきありがとうございました。

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