【時代解説:7世紀(601〜700年)】ユーラシア東西で新たな大帝国が成立した頃の世界史を解説!

こんにちは!歴史ワールド管理人のふみこです!

今回は、7世紀の、ユーラシア東西で新たな大帝国が成立した頃の世界史を解説します。

西ではアラビア半島に出現したイスラームがかつてのローマ帝国に匹敵する広大な領土を征服し、東では隋を倒した唐がかつての漢を超える広大な領土を征服し、ユーラシア大陸の東西に再び大帝国が出現します。

この記事では、そんな7世紀はどんな世界だったのか、分かりやすく解説します。

目次

7世紀はどんな世界だったのか

ヨーロッパ

フランク王国ではカロリング家が台頭しはじめ、宮宰(国王に次ぐNo.2、首相のようなもの)の地位を占めます。イベリア半島の西ゴート王国はイスラームのウマイヤ朝に滅ぼされ、東ローマ帝国も北アフリカとパレスチナ・シリアをイスラームに奪われた上にイタリア半島の大部分をランゴバルド王国に奪われ、一気に領土が縮小し、残る領土はバルカン半島とアナトリアとイタリア南部、地中海の島々のみとなります。この頃、東ローマ帝国はギリシア語を公用語とし、以後はビザンツ帝国と呼ばれます。

西アジア・中央アジア

アラビア半島のメッカに生まれたムハンマドは、新たな宗教であるイスラームを広め、630年にアラビア半島を統一します。ムハンマドは632年に死去しますが、イスラーム教徒はどんどん増えて勢力を拡大し、651年にはササン朝ペルシアを滅ぼし、ビザンツ帝国からシリア・パレスチナ・北アフリカを奪って大帝国を築きます。ムハンマドの跡を継いだイスラームの指導者はカリフと呼ばれます。661年にウマイヤ朝となったイスラーム帝国はさらに征服活動を続け、7世紀の間に北アフリカ西端のモロッコや中央アジア、インダス川流域の西北インドにまで勢力を拡大します。

東アジア

589年に中国を統一した隋も2代目の煬帝の悪政により618年に反乱で滅亡します。同年、李淵が唐を建国し、皇帝に即位します。626年に李淵の子、李世民が即位し、628年に中国を統一します。李世民は649年に死去しますが、この期間は貞観の治と呼ばれ、律令制の整備など唐の内政が最も充実した全盛期とされます。次の649年に即位した高宗の時代は対外進出が盛んだった時期です。朝鮮半島の高句麗と百済を滅ぼして、モンゴルの東突厥や西域の西突厥も征服、中央アジアまで至る大帝国が誕生します。そして、690年に高宗の皇后の則天武后が即位し、中国史上唯一の女帝となります。

朝鮮半島では唐と結んだ新羅が百済を滅ぼし、唐も追い払って676年に朝鮮半島の大部分を統一します。

日本では645年に大化の改新が起こって天皇を中心とした国づくりが進みます。友好関係にあった百済救援のため唐・新羅の連合軍と戦いますが、663年に白村江の戦いで敗れ、朝鮮半島から完全に撤退します。

南アジア・東南アジア

インドでは606年にヴァルダナ朝が成立して北インドの大半を支配します。この頃、西遊記で有名な唐の僧、玄奘がインドを訪れます。しかし、647年から王国は急速に分裂して衰退し、しばらくインドはラージプート時代という分裂した時代となります。

東南アジアでは、マラッカ海峡でシュリーヴィジャヤが海上交易によって繁栄します。

7世紀はユーラシア東西で新たな大帝国が成立した時代

このように、7世紀はユーラシア東西で新たな大帝国が成立した時代でした。西ではアラビア半島に出現したイスラームがかつてのローマ帝国に匹敵する広大な領土を征服し、東では隋を倒した唐がかつての漢を超える広大な領土を征服し、ユーラシア大陸の東西に再び大帝国が出現します。

これからも一緒に歴史を学んで未来をより良くしていきましょう!最後まで読んでいただきありがとうございました。

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