【時代解説:11世紀(1001〜1100年)】各地域で自立化が進んだ頃の世界史を解説!

こんにちは!歴史ワールド管理人のふみこです!

今回は、11世紀の、各地域で自立化が進んだ頃の世界史を解説します。

ヨーロッパではローマ・カトリック教会とギリシア正教会が分裂し、アジアでは北宋の影響力が弱く周辺勢力の自立化が進みます。イスラームはさらに拡大が進む一方で、ヨーロッパのイスラームへの反撃が始まります。

この記事では、そんな11世紀はどんな世界だったのか、分かりやすく解説します。

目次

11世紀はどんな世界だったのか

ヨーロッパ

北フランスのノルマンディー公国が1066年にイングランドを征服し、ノルマン朝となります。ノルマン人によるイングランド征服です。この頃、西ヨーロッパでは教皇の権力が強まり、聖俗の権威が逆転して教皇が皇帝・国王に対して優位に立ちます。皇帝・国王の権力低下は諸侯・領主の権力向上に繋がり、封建制・荘園制による中世の封建社会が到来します。そして教皇を頂点とする聖権と皇帝・国王を頂点とする世俗権力の二重構造による支配体制が確立したのです。

ビザンツ帝国は1071年のマンジケルトの戦いでセルジューク朝に敗れてアナトリアの大部分を奪われ、1095年にローマ教皇に救援要請します。これを受けて教皇ウルバヌス2世が十字軍を提唱し、イスラーム勢力に支配されている聖地イェルサレムの奪還を目指します。1096年からの第1回十字軍は聖地奪還に成功し、イェルサレム王国などの十字軍国家が複数成立します。これと同時にイベリア半島の奪還を目指すレコンキスタや、ドイツ東方植民など、西ヨーロッパ・キリスト教世界の拡大が始まります。

西アジア・中央アジア

11世紀前半に中央アジアでトルコ人がセルジューク朝を建て、セルジューク朝はイラン・メソポタミア・シリア・パレスチナを征服してバグダードに入城、アッバース朝カリフからスルタン(支配者)の称号を授けられます。エジプトのファーティマ朝と対立し、イスラームの最大勢力となったセルジューク朝は、さらにビザンツ帝国とも戦って1071年にマンジケルトの戦いでビザンツ帝国を破り、アナトリアの大部分を征服します。

しかし、これが原因でローマ教皇が十字軍を提唱し、1096年からの第1回十字軍によってシリア・パレスチナ地域を奪われます。また、サーマーン朝から独立したトルコ人の一部がイラン東部からアフガニスタンにかけての地域にガズナ朝を成立させ、ガズナ朝は西北インドにまで進出します。さらに、イベリア半島では後ウマイヤ朝が1031年に分裂し、1056年にムラービト朝が成立しますが、この間にレコンキスタによってイベリア半島の多くの地域をキリスト教徒に奪われます。

東アジア

中国を統一した北宋は対外的な影響力が小さく、常に周辺勢力に圧迫されていましたが、唐から宋にかけて社会は大きく変化しました。宋では皇帝独裁による中央集権化が進み、貴族の没落と科挙官僚の台頭によって、文人優位の文治主義も定着します。さらに商業発展によって貨幣経済が浸透し、海外交易も活発化します。

日本では11世紀前半には貴族の藤原氏の摂関政治が全盛期を迎えますが、11世紀後半になると武士が台頭しはじめ、権力者と結びつきながら政界に進出します。

南アジア・東南アジア

インドはラージプート時代の分裂状態が続いており、イスラームのガズナ朝の西北インド侵入により、イスラーム勢力の脅威にさらされます。南部ではチョーラ朝が海上交易で発展します。東南アジアではベトナム北部に大越国(李朝)が成立して中国の支配を脱し、ビルマではパガン朝が成立します。

11世紀は各地域で自立化が進んだ時代

このように、11世紀は各地域で自立化が進んだ時代でした。ヨーロッパではローマ・カトリック教会とギリシア正教会が分裂し、アジアでは北宋の影響力が弱く周辺勢力の自立化が進みます。イスラームはさらに拡大が進む一方で、ヨーロッパのイスラームへの反撃が始まります。

これからも一緒に歴史を学んで未来をより良くしていきましょう!最後まで読んでいただきありがとうございました。

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