こんにちは!歴史ワールド管理人のふみこです。
今回は、19世紀のヨーロッパで高まった、ユダヤ人を劣った人種だとする思想について解説します。
キリスト教徒が大多数のヨーロッパにおいて、異教徒迫害の1つとしてユダヤ教徒を蔑視する風潮は中世からありました。ところが、19世紀後半になると、人種的にユダヤ人を差別する思想が生まれます。この反ユダヤ主義は20世紀に入るとさらに激しくなり、ナチスによるホロコーストでは数百万人のユダヤ人が虐殺されます。
この記事では、「反ユダヤ主義」を分かりやすく解説します。
ユダヤ人とは
もともとはヘブライ人と呼ばれた、紀元前1500年頃からシリア・パレスチナ地方にいたセム語系の民族です。ヘブライ人は一神教のユダヤ教を作り、信仰します。紀元前11世紀末にヘブライ王国が建てられ、紀元前10世紀に全盛期を迎えますが紀元前922年頃に分裂します。北のイスラエル王国は紀元前722年にアッシリアに滅ぼされます。南のユダ王国は新バビロニアに紀元前586年に滅ぼされ、このとき多くのヘブライ人がバビロンに連れ去られます。これをバビロン捕囚といい、この頃からヘブライ人はユダヤ人と呼ばれます。
紀元前538年に宗教に寛容なアケメネス朝ペルシアによって解放されてユダヤ人がパレスチナに戻ると、そこで一定の自治も認められます。紀元前332年からのヘレニズム時代にはさまざまな国の支配を受けながら内紛が続き、やがてローマに介入をされ、紀元前63年からローマの支配を受けます。ローマの支配は過酷で、ユダヤ人は抵抗を試みますが弾圧されます。2世紀前半にユダヤ人はローマ帝国によってパレスチナを追い出され、地中海、ヨーロッパ、メソポタミアなど世界各地に離散していきます。これをディアスポラといいます。
その後は各地で保護されたり迫害されたりを繰り返しますが、19世紀になるとパレスチナにユダヤ人国家を建設しようという動きが盛んになり、ユダヤ人入植者が増えていきます。これをシオニズムといいます。1914年に始まった第一次世界大戦でパレスチナを支配するオスマン帝国と戦ったイギリスは、各勢力の協力を得るため三枚舌外交を行います。ユダヤ人にパレスチナでの国家建設を約束する一方でアラブ人にも同様に国家独立を約束、さらにフランス・ロシアとはパレスチナの分割統治の約束をします。これが21世紀現在も続いているユダヤ人とアラブ人の対立の原因です。第二次世界大戦ではナチス・ドイツによって大量虐殺され、約600万人のユダヤ人が亡くなります。これをホロコーストといいます。大戦後の1947年、国連によってパレスチナをユダヤ人とアラブ人の居住地域に分割することが決定し、念願のユダヤ人国家イスラエルが建国されます。しかし、両者は納得せず、何度も戦争が勃発し、ユダヤ人とアラブ人の争いは続いています。

宗教の違いによるユダヤ人蔑視
中世の頃から、ヨーロッパではユダヤ人を蔑視する風潮はありました。キリスト教徒が大多数のヨーロッパにおいて、ユダヤ教を信仰するユダヤ人は異教徒だったためです。ユダヤ人はイエスを殺した人々であり裏切り者だというイメージも古くからありました。とはいえ、ユダヤ教徒だけを嫌っていたわけではなく、イスラム教徒、キリスト教の異端者なども同様に嫌っていました。キリスト教徒の間でもカトリックとプロテスタントで争ったりと、異なる宗教や異なる宗派同士は常に争っていたのです。最初からユダヤ人に対する暴力的な迫害があったわけではなく、中世前期までは平和に共存していました。しかし、11世紀末からの十字軍の時代になると、キリスト教社会から逸脱する存在が全て攻撃されたため、ユダヤ人も迫害を受けます。14世紀のペスト(黒死病)流行のときにはユダヤ人が井戸に毒を入れたというデマまで広がり、ユダヤ人が襲撃されます。そして15世紀頃には西ヨーロッパからユダヤ人が追放されてしまいます。とはいえ、この頃は宗教が違うという理由で敵視されていただけです。キリスト教に改宗した者は、多少の差別はされますが暴力的な迫害はされません。そのため、多くのユダヤ人がキリスト教に改宗します。
ユダヤ人を劣った人種だとする反ユダヤ主義の出現
19世紀後半になると、科学の進歩により、生物は進化していくことが判明します。ダーウィンが唱えた「進化論」です。ダーウィンは生物の進化の要因を自然淘汰によるものと考え、生存競争の中で適者生存の原理が働き、生き残ったものの中から優秀なものが子孫を残すことでより高等なものに進化すると考えます。これを人間社会にも当てはめたのが、ハーバード・スペンサーらが提唱した「社会進化論」です。人間もより高等なものへ進化していくとされ、人種によって優劣があるという考えです。具体的には、白人が優れており、黒人や黄色人種が劣っているとされます。白人の中でも「アーリア人」が優れているとされています。社会進化論は、19世紀後半からの帝国主義の時代に、白人国家による植民地支配を正当化するためにも用いられます。
1870年代から、社会進化論に基づいた人種差別としての反ユダヤ主義の考えが生まれます。西ヨーロッパのキリスト教徒はほぼインド=ヨーロッパ語族のアーリア人であったため、セム語系のユダヤ人はアーリア人に比べ劣った人種だという考えです。これはセム語という「言語」による分類を「人種」による分類と混同した考えです。反セム主義ともいいます。つまり、ユダヤ人は生まれながらに劣っていて、改宗したとしても生まれがユダヤ人であればそれは永遠に変わらないとされます。19世紀のヨーロッパでは同一民族による国民国家を作ろうというナショナリズムが広まっていたため、同一人種・同一民族の結束を重視します。優秀なアーリア人の血に劣ったユダヤ人の血を混ぜたくありません。そのため、ユダヤ人を異民族として排斥したかったのです。
反ユダヤ主義が高まる状況の中で発生したのが1881年のロシア帝国でのポグロムと1894年のドレフュス事件です。ユダヤ人には生まれながらにして裏切り者の性質があるという考えが、この2つの事件の根底にある思想です。



このような人種的理由による反ユダヤ主義の思想を音楽と論文で表現したのが作曲家・思想家リヒャルト・ワーグナーです。彼は1850年に『音楽におけるユダヤ性』という論文を発表し、論文と音楽でユダヤ人を批判しながらアーリア人の優越性を主張します。ユダヤ人作曲家メンデルスゾーンの音楽も批判します。このワーグナーの作品や論文に強く現れる反ユダヤ主義は、彼の音楽を好んだヒトラーの思想形成にも強く影響します。人種的理由による反ユダヤ主義の考えは、やがてナチスによるユダヤ人絶滅計画(ホロコースト)を生み出してしまうのです。

ナチスとホロコースト

20世紀初頭の多民族国家オーストリア=ハンガリー帝国の首都ウィーンでは、各民族の民族運動に脅かされていた支配階級ドイツ人の間で、ドイツ人の民族的優位を主張する考えが広まっていました。ここで青年時代を過ごしたアドルフ・ヒトラーもその影響を強く受け、ドイツ人を含むゲルマン民族などのアーリア人種が最も優れた人種であり、ユダヤ人が最も劣っている、という思想を持ちます。明らかに偏った思想ですが、経済的成功者の多いユダヤ人によるユダヤ資本の支配に反発する民衆の支持を得て、ヒトラー率いるナチスは1933年にドイツで政権を獲得します。
ドイツの総統になったヒトラーはユダヤ人排斥・絶滅政策を進めます。1935年のニュルンベルク法で公民権を奪い、1938年にはドイツ全土でユダヤ人商店が襲撃され破壊される水晶の夜事件が発生します。1939年の第二次世界大戦勃発以降は占領地でもユダヤ人を排斥して強制収容所に収容し、過酷な強制労働に従事させ、多数の死者が発生します。1942年1月、ユダヤ人絶滅政策が本格化され、ゲシュタポ(秘密警察)がその任務を行います。労働可能な者に強制労働をさせる強制収容所に加え、労働できない者を毒ガスで即殺害するための絶滅収容所も建設されます。1945年にドイツが降伏して第二次世界大戦が終戦するまでに、約600万人のユダヤ人がホロコーストの犠牲となりました。これはヨーロッパにいたユダヤ人の約半数といわれます。ホロコースト犠牲者には、『アンネの日記』著者のアンネ・フランクもいます。
