【時代解説:14世紀(1301〜1400年)】疫病や飢饉により各地で政情不安となった頃の世界史を解説!

こんにちは!歴史ワールド管理人のふみこです!

今回は、14世紀の、疫病や飢饉により各地で政情不安となった頃の世界史を解説します。

気候の寒冷化によって各地で不作や飢饉が起こり、さらにモンゴル帝国が築いた交易ネットワークを通じてペスト(黒死病)という疫病がユーラシア全体に広まり、各地で人口減少や政情不安が起こります。これを「14世紀の危機」と呼びます。

この記事では、そんな14世紀はどんな世界だったのか、分かりやすく解説します。

目次

14世紀はどんな世界だったのか

ヨーロッパ

西ヨーロッパでは1337年からイングランドとフランスの百年戦争が起こり、ペストの拡大も影響して両国は疲弊していきます。イタリアでは諸都市が交易により発展して豊かになり、ルネサンスが起こって文化・芸術が盛んになります。神聖ローマ帝国では1356年の金印勅書によって皇帝を選出する権限を持つ7人の選帝侯が生まれ、皇帝の権力が弱体化してドイツは分裂します。一方、十字軍失敗などの影響でローマ教皇の権力も弱体化し、代わりに王権が伸長していきます。北欧ではデンマーク・ノルウェー・スウェーデンが連合してカルマル同盟が結ばれます。

東ヨーロッパではビザンツ帝国が新興のイスラーム国家であるオスマン帝国に圧迫され、ほぼ首都コンスタンティノープルのみの国となります。一方でリトアニアは1362年にキプチャク=ハン国を破り、ウクライナや白ロシアなどの広大な地域を支配します。モスクワではモスクワ大公国がキプチャク=ハン国に臣従しつつ勢力を拡大します。

西アジア・中央アジア

アナトリアでは1299年にイスラーム教のオスマン帝国が誕生し、バルカン半島にも勢力を広げてビザンツ帝国を追い込んでいきます。エジプトからシリアではマムルーク朝が勢力を安定させ、中央アジアでは14世紀半ばにチャガタイ=ハン国が東西に分裂し、1370年に西チャガタイ=ハン国の中からティムールが独立して西チャガタイ=ハン国とイル=ハン国を滅ぼし、中央アジアから西アジアに及ぶイスラームの大帝国を築き上げます。

東アジア

14世紀初めからのペストと飢饉によって中国の元でも農民反乱が多発し、衰退していきます。1351年から起こった紅巾の乱から頭角を表した朱元璋によって1368年に元が滅ぼされ、漢民族の明が建国されます。元はモンゴルに追いやられ、北元が成立します。朝鮮半島では李成桂が高麗を倒して李氏朝鮮を建国します。

日本では鎌倉幕府が滅亡して南北朝の混乱期に入り、西日本の武士団が東シナ海で海賊化して倭寇となります。明はこれに対して民間貿易を禁止し、朝貢・冊封関係を復活させ、朝鮮と冊封関係を結びます。

南アジア・東南アジア

インド北部ではデリー=スルタン朝が続き、南部では1336年にヴィジャヤナガル王国が成立します。東南アジアのタイではスコータイ朝に代わって1351年にアユタヤ朝が成立し、島嶼部ではマジャパヒト朝がマラッカ海峡・スマトラ・ジャワを支配しつつ明に朝貢して繁栄しますが、14世紀末にはマレー半島でマラッカ王国が成立します。

14世紀は疫病や飢饉により各地で政情不安となった時代

このように、14世紀は疫病や飢饉により各地で政情不安となった時代でした。気候の寒冷化によって各地で不作や飢饉が起こり、さらにモンゴル帝国が築いた交易ネットワークを通じてペスト(黒死病)という疫病がユーラシア全体に広まり、各地で人口減少や政情不安が起こります。これを「14世紀の危機」と呼びます。

これからも一緒に歴史を学んで未来をより良くしていきましょう!最後まで読んでいただきありがとうございました。

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