【時代解説:13世紀(1201〜1300年)】モンゴルがユーラシアを一体化させた頃の世界史を解説!

こんにちは!歴史ワールド管理人のふみこです!

今回は、13世紀の、モンゴルがユーラシアを一体化させた頃の世界史を解説します。

13世紀は「モンゴルの世紀」とも言われます。チンギス=ハンが建てたモンゴル帝国がユーラシア大陸の大部分を征服し、「草原の道」「オアシスの道」の陸上交易路を支配します。さらに大運河を整備して「海の道」の海上交易路とも結びつき、ユーラシア規模の円環交易ネットワークを成立させます。

この記事では、そんな13世紀はどんな世界だったのか、分かりやすく解説します。

目次

13世紀はどんな世界だったのか

東アジア・中央アジア

1206年にチンギス=ハンがモンゴル高原を統一して大モンゴル国を建て、中央アジアのイスラーム諸国と西夏を征服してモンゴルから中央アジアに至る大帝国を築きます。チンギス=ハンの後を継いだオゴタイ=ハンは1234年に金を滅ぼして華北を征服、さらにバトゥが西征を行ってロシアと東ヨーロッパを征服し、1241年にはワールシュタットの戦いでドイツ・ポーランド連合軍を破り、ヨーロッパ諸国を震え上がらせます。バトゥはそのままロシアにキプチャク=ハン国を建てます。オゴタイ=ハンの後を継いだモンケ=ハンのときは、フビライがチベット・大理国を征服、1258年にフラグがアッバース朝を滅ぼしてイラン・メソポタミアを征服し、イル=ハン国を建てます。そして朝鮮半島の高麗がモンゴル帝国の属国となります。モンケ=ハンの後を継いだフビライ=ハンは1271年に国号を中国風の「元」に改めます。1274年・1281年には日本に侵攻しますが鎌倉幕府に撃退されます。しかし、これが鎌倉幕府滅亡の原因になります。1279年には江南の南宋も滅ぼし、中国の征服が完了します。こうして、モンゴル帝国はユーラシア大陸の大部分を支配下に入れ、空前の大帝国となります。

ヨーロッパ

1202年からの第4回十字軍は、ヴェネツィア商人にそそのかされ、ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを占領し、ラテン帝国を建国します。本来の目的から外れた十字軍でした。1228年からの第5回十字軍は、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世が主導し、アイユーブ朝と交渉してイェルサレムを譲り受けます。しかし、休戦期限が切れた後の1244年にアイユーブ朝によって再びイェルサレムが占領されます。1248年からの第6回十字軍は、フランス王ルイ9世が主導し、エジプトを攻撃するもルイ9世自身が捕虜となり失敗します。1270年の第7回十字軍もフランス王ルイ9世の主導でしたが、チュニジア攻撃に失敗してそのまま病没します。そして1291年にはエジプトのマムルーク朝によって十字軍最後の拠点アッコンが陥落し、イェルサレム王国は滅亡し、十字軍の時代は終わりを迎えます。イベリア半島ではレコンキスタが一気に進み、イベリア半島の大半を奪還します。

西アジア

モンゴル帝国のフラグによってアッバース朝が滅ぼされ、中央アジアからメソポタミアはモンゴルの支配下に入りますが、フラグが建国したイル=ハン国の第7代ガザン=ハンが1295年にイスラームに改宗し、イル=ハン国もイスラーム国家となります。エジプトでは1250年にアイユーブ朝に代わってマムルーク朝が成立します。マムルーク朝はイル=ハン国を破り、十字軍も破ってシリア・パレスチナを支配します。

南アジア・東南アジア

北インドでは1206年にイスラーム政権の奴隷王朝が成立し、しばらくイスラームの王朝が続きます。これをデリー=スルタン朝と呼びます。南インドではチョーラ朝が滅亡します。東南アジアのタイではスコータイ朝が成立します。

13世紀はモンゴルがユーラシアを一体化させた時代

このように、13世紀はモンゴルがユーラシアを一体化させた時代でした。チンギス=ハンが建てたモンゴル帝国がユーラシア大陸の大部分を征服し、「草原の道」「オアシスの道」の陸上交易路を支配します。さらに大運河を整備して「海の道」の海上交易路とも結びつき、ユーラシア規模の円環交易ネットワークを成立させます。

これからも一緒に歴史を学んで未来をより良くしていきましょう!最後まで読んでいただきありがとうございました。

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