【時代解説:10世紀(901〜1000年)】民族移動によって大帝国が解体した頃の世界史を解説!

こんにちは!歴史ワールド管理人のふみこです!

今回は、10世紀の、民族移動によって大帝国が解体した頃の世界史を解説します。

ヨーロッパでは気候の温暖化を原因としてノルマン人・マジャール人・スラブ人による第2次民族移動が起こり、アジアではウイグル帝国の崩壊の影響で唐やアッバース朝などの帝国が崩壊して分裂期となります。

この記事では、そんな10世紀はどんな世界だったのか、分かりやすく解説します。

目次

10世紀はどんな世界だったのか

ヨーロッパ

9世紀から10世紀にかけて、気候の温暖化などの影響で、再び民族移動が起こります。スカンディナヴィア半島にいたノルマン人がヨーロッパ各地に襲来し、北フランスのノルマンディー公国やロシアのキエフ公国など、各地に定住して国家を形成します。アジア系のマジャール人はハンガリー王国を形成し、スラヴ人も東ヨーロッパ各地に移動します。

東フランク王国では、936年に即位したオットー1世がマジャール人を撃破してイタリアに遠征し、962年、ローマ教皇によってローマ皇帝として戴冠されます。神聖ローマ帝国の成立です。西フランク王国ではカロリング朝が断絶し、ユーグ=カペーが国王となりカペー朝が始まります。イングランドでは、アルフレッド大王がノルマン人の一派であるデーン人の侵入を撃退します。

西アジア・中央アジア

アッバース朝から独立した各地のイスラーム国家の多くはアッバース朝のカリフを名目的な君主と認めていましたが、北アフリカのファーティマ朝とイベリア半島の後ウマイヤ朝は自らカリフを名乗り、アッバース朝カリフの権威は失墜します。ファーティマ朝はエジプトに首都カイロを建設し、アッバース朝に代わってイスラーム世界の中心として繁栄します。イランに起こったブワイフ朝は946年にバグダードに入城し、アッバース朝のカリフから実権を奪って統治します。

中央アジアの西トルキスタンでは9世紀末にイラン系のサーマーン朝が成立し、トルコ人奴隷を軍人として使用していました。東トルキスタンではトルコ人がカラハン朝を成立させ、10世紀半ばにイスラームに改宗します。カラハン朝は10世紀末にサーマーン朝を滅ぼして東西トルキスタンを支配します。こうしてトルコ人のイスラーム化が進みます。

東アジア

907年に唐が滅亡してから約半世紀の間、中国は五代十国時代という分裂時代になります。その中から趙匡胤が960年に宋を建国し、979年には中国主要部を統一します。北宋の誕生です。しかし、モンゴル高原の遼や涼州の西夏などの周辺勢力に圧迫されており、対外的な影響力は唐と比べて大きく縮小します。このように唐帝国が滅亡して中国が東アジアに及ぼす影響力が小さくなったことで、東アジアの各地域は自立化の傾向を強めます。渤海は926年に遼に滅ぼされ、朝鮮半島では新羅に代わって918年に高麗が建国されます。

平安時代の日本では唐風の文化に代わって日本独自の国風文化が栄え、貴族の藤原氏の藤原道長が摂関政治の全盛期を築きます。

南アジア・東南アジア

インドはラージプート時代の分裂状態が続いており、東南アジアではマラッカ海峡のシュリーヴィジャヤやカンボジアのアンコール朝が繁栄し、ジャワ島ではクディリ朝が成立します。

10世紀は民族移動によって大帝国が解体した時代

このように、10世紀は民族移動によって大帝国が解体した時代でした。ヨーロッパでは気候の温暖化を原因としてノルマン人・マジャール人・スラブ人による第2次民族移動が起こり、アジアではウイグル帝国の崩壊の影響で唐やアッバース朝などの帝国が崩壊して分裂期となります。

これからも一緒に歴史を学んで未来をより良くしていきましょう!最後まで読んでいただきありがとうございました。

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